ケイジ板10月

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一輪の雑草

令和2年10月25日

少し調べものがあったので古いもの「書物」を探しておりました。

ページをめくると臨済宗妙心寺派教学部長を経て「南無の会」の元会長でも

あった龍源寺前住職の松原 泰道師のお写真が掲載されておりました。

柔和な中にも「厳しさ」を感じさせる師のお尊顔は、拝見いたしましても、

親しみと本当の温かさを感じさせるものです。師の多くのご著書にも、たい

ていこのお写真が使われている様です。別の個所を探していたのですが、興

味深い内容でしたので、そのまま読み切らせて頂きました。少し抜粋しまし

てご紹介したいと思います。


『百二歳で亡くなる前年の本人の言葉(日本人への遺言)によると、健康法

の支柱は、生き甲斐をみつけること。それは「感動」だという。百一歳当時

でもまだまだ修行中だとし、心を澄まして周囲を見渡していると、当たり前

だと思っていたことに新たな発見ができることがあるという。発見ができる

と、感動ができるわけで、この感動こそが最も大切だと力説。また、感動す

れば、そこに希望がうまれる。希望があれば生きていけるはずであるとし、

希望をどのように実現させようかと、工夫を重ねることにもなるという。こ

の「感動・希望・工夫」が松原師自身の人生を歩むための「心の軸」であ

り、それを人にも説いていた。』【大法輪H27年10月1】


松原師によると健康であることの支柱は「感動」であると言われている。

当たり前と思っていた中に「感動」は潜んでいる。健康のみならず、人生に

「感動」がなければ、実につまらないものであろう。真宗の教えに生きる

我々にとっては合掌して(念仏して)生きる人生そのものが、浄土への道で

ある。それはまた一日一日の生活が大いなる感動との「出遇いの場」である

とも言えるのではないだろうか・・・。

かなり以前・・広島県三原市臨済宗佛通寺派本山佛通寺で、松原泰道師に

お会いしたことがある。檀信徒の方を対象とした「法話会」ではなかったか

と思う。二階の会議室へと階段をゆっくりと上がって来られる師の姿は、や

やお年を感じさせるものであった。しかし着座され檀信徒の方がたへの丁重

な挨拶が終わると・・しばし間をもたれ・・宗門の僧侶の列に向き直ると

「こうした、集まりを持たれる事はたいへん良いことです。」と穏やかな

表情で言われた後、俄かに厳しいお顔つきになられ「だが・・・おそい!」

と厳しい口調で言われたのだった。宗門の僧侶の方がたは、一同、はっ、と

した顔つきになり・・しばし静寂さが会場をおおったのだった。

しかし、しばらくすると柔和なお顔にもどり「けれど・・何もしないよりは

いいですよ。これからが始まりです」と笑顔で言われたのでした。

会場は再び和やかな空気につつまれたのだった。

退席のおり、檀信徒の方々お一人お一人に丁寧に合掌されて会場の出口へと

向かわれた。私の横を通られる折も、じっと私の眼を見つめられ、小さく

会釈してくださった。師の人柄を十分に感じられる、法話の会であった。

師は単に臨済宗の僧侶というだけでなく、「真宗」の教えにも精通しておら

れた。「歎異抄」に関するものも著されている・・・。

                    南無阿弥陀仏

立位  赤紫  (566x800)

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