人生はサーカスⅥ

人生はサーカスⅥ

この時間の外に

人間は、生まれてから死ぬまでの間・・時に立ち止り、そしてまた歩き始め

ながら、過去を振り返ってみた時、右往左往しながらも、そこには「軸」と

なる、ひとつの物語があるのではないだろうか。

大きく、そこから外れているように思えても・・何かしら、その「軸」を中

心にして物語は、再び動き始める。

そこには、何かしらの「法則」、といったものがあるのかも知れない。

これは、必ずしも「仏教的」な考えではないかも知れない。

しかし・・・「仏教的」ではない、ともいえないかも知れない。仏の教えは

深淵であり・・・大乗の教法は・・慈愛に満ちている。時に、姿を表わし、

時に姿を消し去り、変容し、正体のつかめぬもの。形を変え・・形を変えず

消滅することもなく、消滅することがないこともなく、空間の事象は、その

「相」を変えて行く・・・しかし・・・その奥にあるものは何か。

何、なのか・・・


福山から岡山に戻り、岡山の生活にも慣れかけていた。福山時代の友人から

電話があった。久しぶりだった。近況や、友人の娘さん、お母さんの話題が

中心だった。そして、今週中に福山で会おうという事になり、二日後の金曜

日、私は福山へ出かけた。駅を降り、改札口を出、正面を見ると、果たして

そこには友人の姿があった。我々は少し言葉を交わすと、駅近くの喫茶店に

行くことにした。ケーキが美味しいと評判であったこの喫茶Sで、我々はし

ばらくは、とりとめのない話に時間を費やした。そうして、友人の「娘」が

近々、「結婚」するであろうこと、高齢になった友人の母はいたって元気で

あること・・などを友人は告げた。私も自坊(寺)の話、日々の生活のこと

など、近況などを話した。そして、福山時代の共通の知人のことなども話題

にしたか・・。そうして、友人は「ケーキ」を食べ終わった頃、妙にかしこ

まって、話しだした。気さくな間柄である。わたしは無造作に問い直した。

それは、今度の「日曜日」・・時間が空いているかとのことだった。
ケーキ
その日曜日は、特に法務もなく、べつだん時間はあった。

わたしは、そう答えた。それでは付き合って欲しいとのことだった。

別に断る必要もなかった。だが、とりあえず、理由だけは尋ねてみた。


それは、その友人が現在通っているという・・「教会」への誘いだった。

「はぁ~。」私は、問い直した・・「教会、キリスト教の?」友人は、そう

よと答えただけだった。内心(何を、いまさら・・)(そもそも何を言って

いるのか・・)などと思いながらも、事情を聞いてみた。近所に住む親しい

知人から誘われ、行きだしたらしい。そして、以前、私が教会に通っていた

ことを思い出したというわけだ。(長い付き合いの中で、そんなことも話し

たかもしれない・・だが。子供の時の話だ。今は、仏教の僧侶!「お坊さ

ん!」である)それがどうして、こう結びつくのか、私は首をひねった・・

しかし・・まぁ、悪いことではない。私は、しぶしぶと承諾したのだ・・


二日後の日曜日、私は岡山を7時30分頃出発した。休日のことである、2

号線も思いのほか混んでいた。友人の家に到着したのは、9時過ぎ頃だった

であろうか。友人も、友人の母親も、もう準備をして待っていた。私は、友

人の母親にまず、あいさつを告げ、二人を車に乗せた。

「礼拝」がはじまるのは、10時30分。時間はまだ早いそうだ。

行先を尋ねた・・・それは、尾道ということであった。「はぁ、尾道・・」

私は、言われるがままに、国道を尾道方面へと向かった。

そして、車は、しまなみへと入り、大橋を渡り・・ようやく目的地近くなっ

たらしい・・・。左に右にと車を走らせると、幾台もの車がキチンと止めら

れている、駐車場へと到着した。目の前に現れたのは、この町の景色の中に

溶け込んだかのような、落ち着いた雰囲気の「教会」であった。

間もなく、礼拝を告げる鐘が鳴り始めた。後から来た人々、車の外で待って

いた人々・・皆、おもむろに教会の門へと向かって歩き始めた。

私たちも・・いや、私は、友人とその母親のあとから、ゆっくりとついて

いったのだった。

中に入ると、皆、前から順番に、次々と座っていった。わたしは、友人と

母親が並んで座った席の、斜め後ろへと、少し離れて座った。

礼拝が始まるまでの時間、ある者は指を組みながら祈り、ある者は「聖書」

を開き、またある者は、じっと目を閉じていた。聖書

しばらくすると・・「牧師」が現れた。比較的お年を召された方のようだ。

聖歌本の最初にある、「主の祈り」「使徒信条」の祈りから始まる。

それが終わるころ、やがて「聖歌隊」が入ってくるのだ・・・。

何となく、懐かしい雰囲気である。その日の「聖歌」が終わると、やがて、

信徒の代表者による「聖書」の拝読・・・やがて、牧師の祈り・・お話へと

続いていったのではなかっただろうか。わたしは、その間、不思議と違和感

を感じなかった。友人の方を見てみると、懸命に何かを「称えて」いる。

他のものたちも、みな、である。とりあえず、わたしは、「合掌」して、

頭を下げていた。そうして、やがて、牧師、信徒、共に祈りをする。いや、

「主の御名」を称える・・のだ。真剣さが体に伝わってくるかの様であっ

た。とくに、牧師の迫力には驚かされた。

そうして・・・その日の礼拝は終わった。「初めて見る顔」の、私のところ

に牧師が来られた。「よく、いらっしゃいました。」張りのある声である。

おおらかな、優しさに満ち溢れている。ついさっきまでの、大地の底から湧

き出でるような激しい雰囲気とは、打って変わったかの様であった。壇上で

見るよりは、意外と小柄なかたであった。無理もない・・あとで友人からお

年を聞いて驚いた。友人の母とほとんど変わらないのだった。

友人から、帰りに、今日の印象を尋ねられた。が私は、答えなかった。


しかし・・「法務」のない時ならば・・また、付き合うことを約束した。

それから、二か月ぐらい経った頃、再び「教会」へいく機会ができた。

友人は喜んでいた。今回も前回と同じく私が家まで迎えに行った。

母親は来客のため来られなかった。私たちは二号線を走り、しまなみへと向

かった。少し早く着いたか・・。

前よりも多くの信徒の方が来られていたような気がした。そして、牧師以外

にも若い男女の先生方もおられる。「主の祈り」「使徒信条」が順番にお祈

りされていく。そして、「聖歌隊」が入ってきた。改めて見ると、こちらも

大勢おられるようだ・・・。やがて、ピアノの演奏が始まる。今日の曲はゆ

ったりとしたリズムで、そのまま流れに乗ってしまいそうな気がする。

いただいた、楽譜を見つめた・・・。聖歌2

 
いずこにある・・島々にも  いずこに住む・・人々にも

 喜ばしく・・ 宣べ伝えよ  聖霊来たれり・・・


 暗き夜は・・開け放たれ   嘆く声も・・今はやみて

 目に入るもの・・みな輝く  聖霊来たれり・・・

 
いとも深き・・愛と恵み   いざ迷える・・罪びとらに

地のはてまで、宣べつたえよ・・・


・・と続いているのだが、「聖歌 576番」だそうだ。私が子供の頃に

聞き覚えのある曲は・・・次に訪れた時も、その次に訪れた時も聞くことは

出来なかった。あれは、子供向けの「賛美歌」だったのだろうか。

もう、冬が近づき始めていた。その日は、「みかん」を作っている友人の親

戚の家により、その島の名産である「みかん」をひと箱、安い値で譲っても

らった。


その後、友人の「娘」は、この教会で結婚式を挙げたのだ・・・。

          南無阿弥陀仏

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