掲示板(新1月)

掲示板(新1月)

新 一月
明けましておめでとうございます・・などといいましても、一月ももう半ば

早いものですね。この言葉を味合います時に、いつも思い出しますのが

私の大叔父の松田 昌守のことです。彼は、柔道七段、空手五段、

剣道三段、神伝流(水泳)六段、そして確か銃剣道も有段者であったと

思います。そして実姉の創立いたしました学校で副学園長を務めていました

いわゆる、文と武に長けた人物でありました。けれど、けっして、とっつき

にくいことは無く、親しさのある情けの人、でもありました。

鹿児島生まれの彼はまた、愛飲家でもありました。当時、学校のありました

津山市には、たいへん美味な「どてやき」と地酒「加茂五葉」の店があり

ました。大叔父はこの店がたいそうお気に入りで、甥にあたる私の父をよく

誘ってくださり「おい、隼人。今日はあそこで。」とぐいっと、お酒を飲む

仕草をするのでした。私の父もその頃はかなりの酒豪で、しばしば付き合わ

せていただいたのでした。そして、ちょうど酔いもほどよくなった頃には

決まって大叔父は「なぁ、隼人。今生きている者たち。泣いている者も、

笑っている者も、愛し合っている者も、憎みあっている者も・・・

百年たってみろ・・・だれもおらんぞ。だれひとりおらん(いない)ぞ。

しかし、百年などといってみたところで、永劫(ようごう)の時の流れ

からみてみろ・・点、でさえも無い。一瞬でさえもないのじゃ・・

じゃからこそ・・」そこまで言うと、大叔父はいつも感慨げに、じっと眼を

つぶるのでした。その後の言葉、念仏者である叔父が何を言いたいかは、父

にはよく理解出来ました。それは・・だからこそ、トラワレルことなく、コ

ダワルことなく、悠々と生きよう(御仏の心の内で)、命を正しく成就して

いきたい。といった思いでした。

この言葉を見つめるとき・・本当に、こだわることなく、迷うことなく

あるがままに自己をゆだね、大きな本願の力のみに照らされてありたい・・

などと感じているのであります。
                         南無阿弥陀仏
お坊さん4

                        

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