掲示板A3月

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孤独を

令和3年3月27日

3月もこの頃になりますと、赤磐市では、桃、桜がいっせいに花を咲かせ、

比較的長きにわたって咲き続ける紅梅・白梅とも重なり、百花繚乱、鮮やか

なる大自然の風景画をそこに出現させてくれます。名ばかりの春、が少しづ

つ過ぎ去り・・春光天地に満ちる好季節・・といきたいものです。


妙好人

さて、真宗にはご存知の様に「妙好人」という言葉があります。

これは、「主として在家の念仏者で、その言行がとくに有難く、周囲の人々

に大きな影響を与えた方々を讃える言葉として用いられています。

彼等が語る宗教的な領域は、古今の高僧たちが到達されている境地と変わら

ない透徹したものがありました。その意味で多くの求道者、聞法者に慕われ

妙好人と讃えられてきたわけです。それはそれで素晴らしいことですが、

「妙好人」とは「言葉ではいい尽くせないほど麗しく好ましい人」という

ことで、釈尊が広く信心の行者を讃えるために用いられた讃辞でした。

ですから人間が人間を誉める言葉ではなかったのです。言葉の本来の意味か

らいえば、法然聖人も親鸞聖人も、さらに無数に出現された念仏の先徳も、

また私どもの身辺にも妙好人は沢山いらっしゃるわけです・・・」

     梯 實圓 「大法輪 平成18年7月号」

里山

・・ということですが、私自身、この「妙好人」という言葉が若いころから

好きでした。「妙」の字はすぐれた、不可思議などの意味があるとのこと

です。奥深い、という意味の「玄」と合わせ、「玄妙」とよく用いられます

が、これは「無欲にして観るー知るー」ことができる深遠幽微なことをいう

のに「妙」は、用いられる・・・とのことです。

武者小路実篤さんの小説にも、この「玄妙」という言葉はよく使われていま

した。自然界の奥なる奥に座し、妙なる働きを人々に伝える・・そんな和か

な力を感じさせてくれる言葉です。


「Mさん、Mさん」(私のこと)、そう呼びかけながらこれこれ、と一枚の

原稿のコピーを私に差し出しました。どれどれ、とそのコピーを受け取りま

した。かなり、古い原稿をコピーしたものでした。「S・N氏の思い出」と

題されている。そして元文部省S局長S・Tと記されている。つまりこれは、

元文部省S局長のS・T氏の文書ということだ。前後を拝見するに、この文書

自体は広く公開されていたものの様である。

その内容は《(尊称)氏が、真宗 木辺派管長木邊男爵といつも東京では行動

を共にしておられる様子を拝見して、実にすばらしいものだと感じていたの

は、恐らく私一人ではなかったでしょう・・》との感想が記されたものでし

た。これは、孝慈上人と(尊称)氏との交流の姿を記したものだ。

この(尊称)で紹介されている人物とは、ある新宗教の教団の責任者の方で

ある。この教団は「幕末三大新宗教」と言われるものの一つだ。

この内二つは岡山県発祥である。K教・・岡山誕生のものはどちらもK教なの

だが、山陽本線で福山・尾道に向かう途中、新倉敷駅の次に、この宗教の名

がついた町があり、駅がある。安政6年に設立ということなので、もう

160年以上経っている。この宗教もまた、長きにわたって歴史の検証に耐え

てきた尊い教えであるという。その教団の当時の責任者の方と、孝慈上人の

親交のすばらしさが、このK教の方々からみても、感銘を受けるものであった

という、その記録であった。


Mさん、これこれ、とこの書面を私に見せてくれたのは、ご近所の友人であ

る。私より年齢はやや上だが、そんな感じはしない。出会った頃から妙に親

しみが感じられた。二人とも、(嫌いな方ではない・・)のでよく杯を交わ

した。我々が訪れる店は、たいてい近所の鉄板焼きの店である。

私が彼に連絡をする。「今日あたり、どうですか?」と尋ねると、たいてい

は、「うん、いいなぁ」とすかさず返事が返ってくる。そして、私が家で待

っていると、十分もすれば彼が自転車でやってくる。そして、私の駐車場ま

でそのまま進むと、そこに自転車を停め、そこから歩いて行く。

店までは、徒歩でも15分とかからない。大抵が日曜日の午後である。

お決まり・・ではないが、空いていれば一番奥の席に座らせてもらう。

練習を終えた、野球チームの方々がもうすでに、大分出来上がっていたりも

する。何度も顔を合わせている内に、次第に親しさがましてくる。

飲み物さえ注文すれば、後はお任せがいい。飲み物に合う料理が出てくる。

「ほろ酔い」になるにつれ、話は弾む。彼との話題はお互いの「宗教」につ

いての話も何度かした。彼の家は、代々山間にあるS宗(密教)の檀家であ

る。この土地の多くの家がそうだろう。私も時折、その付近を散歩する。

歴史を感じさせる、落ち着いた古刹である。よい空気が漂っている。

彼は「家の宗教」はもちろん尊んでいた。しかし、別の「信仰」も持ってい

た。それが、先程紹介した、「K教」である。私自身は「K教」については

詳しくは知らないが、彼の話から察するに「神と人間」の信頼をたいせつに

する、神道系の宗教であるということと、他の宗教を否定しない、という

大らかな教義であるということは、わかった。彼は私が知遇を得た頃には

代々の土地を守り農業に従事していた。大きなトラクターに乗り、隣町の畑

へと向かう姿もよく見かけた。「土」、と触れ合いながら生きていた彼には

彼の信じる「教え」というものは、身近なものに感じられたのだろう。

彼はもちろん私が僧職にあることはよく知っていた。

「宗教」・・の話もよく語った。しかし「宗教についての話」はしていない

彼が・・彼と話していたのは、宗教のある・・「生活」そのものの話であっ

た気がする。それは「信仰」というものの、具体的な表現であったのだろう

それは、ひとつひとつが、身に染みる会話であった様に思う・・・

宴の最中であっても、その一言一言が、心に残っているのだ。


昨年(令和2年9月)私の携帯電話に彼の名前が表示された。

久々だなと思いながら、電話に出た。

しかし電話の相手は、彼ではなく、彼の奥様からだった。しばし沈黙の後

彼女は、先月、8月に、彼がほとんど突然に亡くなられたことを告げたの

だった・・・。

実質的な付き合いは、それでも、20年ほどであっただろうか。彼との交流

は心に刻まれている。生と死の境界線上を、日々往来する我ら僧職者では

あるが・・それでも尚、時として、ぬぐい切れない思いに揺れ動かされる。

そんなことがある・・・そんなこともあるのだ。

          南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

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