掲示板A6・7月

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国家の
憎み心と

 令和3年7月4日

本日は小雨の降る中、お寺のある赤磐市の町内の「素材ゴミの収集日」でし

た。以前は「草刈り」などでよく、この集会所「今回のゴミ収集場所」には

来ていたのですが、考えてみますと、随分と久しぶりでした。赤磐の町内で

の、こうした当番は実際のとこ、初めてでした。午前8時から、回収開始と

のことでしたので、15分ほど前には現場に行きました。

5分ほど経ったころ、私より若干年上の男性が来られました。近所の方なの

でしょうが、マスクも着用されておられますので、どなたかは、はっきりと

はわかりません。そうして、世間話などしているうちに、女性の方々がまっ

て来られ始めました。ご近所の主婦の方たちですが、顔見知りあいのかたも

幾人かおられました。皆さん、こうした経験のある方は、実にテキパキと動

かれ、気持ちがいいものです。回収時間は8時~9時までと、時間厳守であ

りこの間に、廃棄に来られる方の中にも、知り合いの方々が、幾人もおられ

ました。通常の日曜は、「法務」でこの時間は中々こうした町内会での行事

には参加するのが、難しいのですが、今回はすんなりと参加できました。

改めて「町内」での共通の活動ということを、考えてみますと、実に感慨深

いものがあります。それがこうした、「素材ゴミ収集」という行事であって

もです。みなの生活に根差した、利害関係のない行為・・とでもいいましょ

うか、こうしたものは、ほっとしたものがあります。


自宅のある岡山市内でも、数十年前に住みだした当時には、「新興地住

宅地」でもありましたので、町内で、一件のおたくに集まっては、「飲み

会」(懇親会)など、よくしたものです。同じ「土地」に住んでいる・・と

いうことは、やはり「縁」によって、結ばれているのでしょう・・。


さて、岡山では5月に「緊急事態宣言」が発令されてから6月20日に

解除されるまでの期間、とにかく、ひたすらに「ルール」を守った生活でし

た。不必要な外(飲)食、は慎み、(外飲食自体は大事なものです。心に

潤いを与えるものです。)実際的な「法務」と、オンラインでの仕事に徹し

た期間でした。ある特定の施設の部屋(研究室)にほとんど籠り、ひたすら

「資料作成」に従事する日々でした。「籠る」ことも、「作成」することも

どちらも、もちろん苦手意識はないのですが・・やはり、人は人と自然な状

態で付き合うことが、いかに大切かを考えさせられた期間でもありました。

「コロナ禍」の中での敵は、ひとつには誰もが胸中に抱えている「不安」

「恐れ」、といったものですが、そこからさらに「疑」というもの「疑い」

というものが、連鎖的に生じてくるわけです。仏教でも「六大煩悩」という

時には、この「疑」を入れます。つまり「疑心暗鬼に陥る」ということで

す。親しい間柄でさえ、これは生じます。なぜなら、すでに「煩悩」として

定義されている、「疑」というものが、我々には存在しているからです。

極度の自己愛(病的な自己執着)が、人間には存在しているからです。

人間関係だけでなく、自己自身への「疑」、体(健康)、心、様々な「疑」

が生じてきます。

その時・・あるがままに「正しく見る」、つまり八正道でいえば「正見」と

いうことの大切さが改めて、思われる・・わけです。

                      南無阿弥陀仏

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