けいじばん1月
けいじばん1月
足元を見つめて歩く・・それは、人が如何なる業報の中にあったとしても、
結局のところ自分は自分としてしか生きて行けない・・それが人間というも
のなのでしょう。仏教では、この世に生れた時、自分自身が背負ってきた
「業」というもの・・を「宿業」と呼びます。言葉通り、それは一人一人が
生涯をかけて、向かいあっていかなければならない「避けては通れないも
の」にほかなりません。誰しもが、様々な想いで、それを受け取っていかな
ければならないのでしょう・・ただ、受けていくしかなのです。まず・・人
間とは、久遠の業苦に悲泣している、輪廻の中の旅人・・である、というこ
となのでしょう・・。しかし、「道」もまたそこから・・現れてくる・・。
確信することにより・・肯くことにより・・ひらけてゆく道もまた・・そこ
には在る・・ということなのでしょう。
南無阿弥陀仏
一月も半ば過ぎになり、ようやく赤磐市にも雪が降りました。今年はこれが
初雪でした。お寺に着くと、本堂も境内も雪で覆われ、ようやく季節の香り
に出会うことができました。雪の降った日は・・町は賑やかです。
通勤する人々、通学する子供たち・・そしてそれを見守るお母さんたち・・
みんな、せかせかと忙しそうに・・けれど楽しそうに、このひと時を迎えて
いるように感じられます。雪は、人間を無邪気にします。雪もまた、自然界
からの形ある贈り物なのでしょう・・
まぁ、そう思えるのも、この地方ならではのことではあるのですが・・・。
南無阿弥陀仏