けいじばん9月

けいじばん9月

思った時

東雲の軌道にて

九月に入ると、心なしか秋風を肌に感じる気がする(実際にはまだ、残暑が

きびしい時期なのだが)。日一日と、朝な夕なに、時折吹き抜ける風は、や

はり、確実に季節が変わっていこうとしていることを告げている。

この頃になって、ようやく、今年半年のことなどを思い浮かべたりもしま

す・・・。


新しい年を迎えた、平成31年1月、本山の修学研究機関での宗学の研究の

ため、数か月振りの新幹線に乗り、早朝の岡山駅から京都へと向かった。

真冬の京都への旅には雪がよく似合う。時折ちらつく小雪などをまだ夜が明

けきらない車窓から眺めながら京都へと向かうという思いは、夜明け前の静

寂に、情感あるひと時を感じさせてくれる。

岡山からの乗客はそれほど多くはなかった。まばらに間のあいた客席のとこ

ろどころに座っている乗客らも、いまだ完全には目覚めてない空気が読み取

れる・・・

実はこの日は(あいにくの)快晴であった。温度は低く、空気は刺す様に冷

たいものの、小雪舞う・・というわけにはいかなかった。

午前6時発の東京行き「のぞみ」は出発した。西口付近の街並みを薄暗闇の

中に眺めながめていると、早くも旭川を越え、雄町を斜め後方に見据えてい

ると、平島地区を過ぎ、今度はもう吉井川を渡り始めた。だが、それもつか

の間だ・・・。

そして、姫路を過ぎ・・やがて「新神戸」が近付いてきた・・。

今までの「旅」でも、何度も通り過ぎていった、このプラットホームの景色

も、この日は少し違って感じられた。この、岡山から京都の旅の途中、いつ

でも寄れると思いながら、けっして「途中下車」することはできなかったの

が、この新神戸だ。ここには、我々とは「宗旨は」違うが、ひじょうに

宗教的情熱と活動力をもたれていた、女性の宗教者がおられたのだ・・・。

おられた・・というのは、その方は、現在はもうおられないということだ。

彼女はこの世の生を終えられ、「寂静無為の永遠の世界」へと旅立たれたの

だった。昨年の9月のことであった。ちょうどその頃、私は本山での

法話のため、やはり今日と同じく、岡山から京都間の途上にあったのだっ

た・・・

ふいに何かしら空虚な気持ちにおそわれた。いつかは、突然に訪れさせて

頂こうかと思いながらも、決して訪れることは出来なかった・・という思い

は後悔というよりは、寂しさ、むなしさであったのかもしれない。

たいへん生真面目な方であった。かといって「堅物」というわけでもなく

穏やかで、ユーモアのある方であった。何度か、深く話し合う機会があっ

た。何度も話を交わすうちに、「宗旨」は違ってはいても、宗教者として肯

きあう世界がそこにはあることを感じさせられていた。尊い時間を過ごすこ

とが出来た。それは、唯、人間線上に立ち戻った世界であったのだろう・・

瞬く間に、新神戸は過ぎた。それから、つかみどころのない車内での時間の

流れに、しばし身をおいていた。

新大阪・・京都まではもうすぐである。しかし・・まだ夜は明けきらない。

暫くして、車内のアナウンスが京都駅が近いことを告げた。

次第に、暁に染まった夜明け前の京都駅が近づいてきた・・・


新幹線から降りると、いつもの様に構内にある、喫茶「k」に入る。

これまたいつもの様に、奥側の席に入り、腰を下ろす。鞄に詰め込んできた

資料を確認する・・・

そのうち・・運ばれてきた、トーストモーニングのコーヒーを一口飲む。そ

の日初めてのコーヒーだ。旨い!

ふと壁を見ると、そこには「小雪舞う京都」の絵が掛けられている・・・

              南無阿弥陀仏

立位南無 薄みどり (566x800)

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