ケイジ板 4月

ケイジ板 4月

釈尊
令和2年4月

今回の「コロナウイルス」、が俄かに報じられ始めましたのが、今年の1月半

ば頃だったでしょうか。当初は「単なる新型インフルエンザ」ぐらいにしか

認識していませんでしたが、わずか数か月で怒涛のごとくに広がっていって

います。「寒い季節の例年の要注意期間」との予測は大きく変化してしまい

ました。「春になれば、状況も・・・」の淡い期待を抱きながら、この冬は

法務と修学に勤しんでおりました。春は来ました・・桜の花も満開です。

お寺のあります赤磐市では、例年通りの「名残の梅、満開の桜、咲きかけの

桃」の花々が、罪もなく・・三重奏の装いで楽しませてくれています。

お寺への・・法務先への道中・・自然は変わることなく、穏やかに抱いてく

れています。けれども、日々刻々と伝えられる新情報の渦の中、状況は良く

はなっていません・・心中は穏やかならざる思いが過るのも本音です。同朋

は・・同行は・・どの様な気持ちで日々過ごされておられるのか・・。ま

た、宗派は違ってはいても、信仰を持つ友、修行する友、社会にあって職務

を全うされる方々、新しく社会に出られた方々、そして学生の方々・・皆

不安と戦いながら、日々前進されておられると思います。

それは・・私たちにしても、同じです。少し離れた場所に住む友人と電話で

話しました。そして、「結局は・・なすべきことを・・なすしかない。」と

いうのが結論でした。真宗の教えに生きる・・わたしにとっては、日々変わ

らぬ「念仏の中に・・在る」ということなのでしょう・・。

まぁ、しかし・・一刻も早く、世の中の「日常」が戻ることをも・・願わず

にはおられません。


さて、今月の法語「釈尊の教えは薬であり、食物である」・・というこ

となのですが、お釈迦様の教えは、薬でもあり食物でもある、ということで

す。「薬」も「食物」も心身を豊かにし、我々の「生存」を助けてくれるも

のです。我々の「生存」の目的を補助してくれるものであるわけです。

お釈迦様の「教え」の姿勢は、後に「応病与薬」とも「対機説法」とも呼ば

れるものであります。すなわち、有縁のあらゆる人に対して、乞われれば、

厭うことなく、その人に適した「治癒の法」を説かれたわけです。

人間の心に「悩み・憂い・悲しみ」がなくなることは無く、それぞれの人に

それぞれの問題があるわけです。それは限りなく多くの・・と言っても過言

ではないわけですね。・・であるがゆえにお釈迦さまが説かれた教え「法」

も限りなく多くある・・とも言えるわけです。

お釈迦様は29才で出家して、35才で成道(悟りをえた)ということで

す。そして、自らが悟った「真理の法」を、まずは、共に修行をした、五人

の仲間に伝えた・・ということです。その時お釈迦様が伝えた「法」のひと

つが、後に四聖諦(四諦説)として纏められたといわれるものです。

「苦諦・集諦」「滅諦・道諦(八正道)」最初の二つが(迷界の因果)、そ

して後の二つが(悟界の因果)を表わしているわけです。これは、人間存在

の「苦」を見極めることにより、「苦」を克服していこうとする「仏教」の

基本的な構造であり、特徴であるわけです。「迷界の因果」であります、

苦諦」「集諦」。「苦諦」すなわち、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会

苦・求不得苦・五蘊盛苦・の八苦は、それらが起こる原因である「集諦

(愛欲の煩悩)ー渇愛ーから生まれるわけです。その原因である(愛欲の煩

悩)を断ち切るためにここでは・・)「悟りの因」である、「道諦」・・

八正道」に依らなければなならないわけですね。これは実は、当時の医学

の形式によって纏められたもの、であるとも言われています。

表に現れた苦の症状・・原因を探り・・適切な方法により・・治療する。

そして、完治さす・・。まさに、心の医学・・なのですね。 

        南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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