浄土真宗

浄土真宗

浄土真宗(真宗)は親鸞聖人(1173~1262)によって開顕された

仏教です。聖人は「大無量寿経」によって宗義を立てられました。

その宗義は聖人のご著書ー教行信証ーなどで深くうかがい知ることができます。

しかしわたしたちは-歎異抄ーに伝えられている言葉によっても身近に真宗
の教えに親しむことができます。 親鸞聖人  親鸞聖人

その言葉とは、ー本願を信じ、念仏もうさば仏になるーです。

これが、真宗の聖教の教意であります。

弥陀の本願」-われらのよりて信じるべきもの・・真宗では、ただ

弥陀の本願」より外にはない、と説きます。

弥陀、とは阿弥陀仏の略称であります。阿弥陀とはサンスクリット語で

無量の光を意味するアミターバ、と無限の寿命を意味するアミターユス、

を音写したものです。そして、仏(ぶつ)とはめざめたるものという

ことです。しかして、阿弥陀仏とは永遠の真実者として、一切の真理を

知り、われらの光となり、われらの命となるもののことであります。

その阿弥陀仏の心より本当の願い、が現れます。その願いとは衆生がい

かなる状況にあろうともー必ず救うーという智慧と大慈悲のこころを表す

ものであります。わたしたちは、その、本願を聞くことによってのみ、その

慈悲と智慧を感ぜしめられるのであります。弥陀の本願とは、弥陀のこころ

を表現する言葉であります・・・。


弥陀のこころを表現する言葉、その言葉を聞いて深く肯くこころ、それが

「信心」といわれるものであります。

しかしてその本願の言葉とは、大無量寿経に(四十八の願)として説かれ

ているものですが、その要(かなめ)は、第十八の願、として説かれている

ものであり、それこそがー念佛往生の願ーと称せられるものであります。

それは・・・「わが名を称する者は、必ず我が国に生まれしめん

との言葉であります。

「我が国」、とは、仏の国。それは平等寂滅(びょうどうじゃくめつ)の

世界であり、われらが感じるところの、生死(しょうじ)を超えたる世界

のことであります。

そして、「わが名を称するもの」とはわが名、すなわち(南無阿弥陀仏)

を称するもの、との意であります。

それゆえに、(南無阿弥陀仏)を称えるものは、必ず仏の国に生まれる・・

すなわち、必ず救われることの根拠であります。

「弥陀の本願」を、世に知らしめ、(本願によりて)、

ひとは救われるということ・・・この、「本願の教法」を、・・浄土真宗

(浄土に生まれる、真ーまことーの教え)といいます。

内海町

        (法蔵館 金子 大栄著(真宗概説)に従う   領解)

文字サイズ:

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional