生のさなかにもⅡ

生のさなかにもⅡ

※彼がいつも読んでいるページ、それはーヨハネによる福音書ーでした。

 そこには幾つもの赤い傍線が引かれていました。

 時折、下級生の中には(ほんの悪戯心から)彼をからかう様なことを

 言う者もいました。注意をしに行こうとすると、彼はそれを手でさえぎり

 微笑みながら、「かわいいなぁ」とつぶやくのでした。


 彼は、教科を教えるだけでなく、様々なお話をされました。宗教・哲学

 なども話題にされました。宗教が話題になった時など、生徒達も熱が入り

 ました。真剣に議論をすることもありました。そんな時、彼はいつも

 ニコニコと微笑みながら、生徒達を見つめていたのでした。

 彼と過ごす(時)はまるで時間が止まっているかの様でした。それは、

 永遠の「今」にいるかのようでした。


 (卒業式の午後)彼は最後の言葉として、次の様に生徒達に告げました。

 それは、「君達、卒業して君達がどのような道を歩もうとも、一度は

 世界の偉人と呼ばれた人々ー釈迦・キリスト・孔子・ソクラテスーのこと

 は学んで欲しい。彼ら一人一人の思想には、今の君達が想像も出来ない

 ような、深くすばらしい世界があるのだ。例えこの中の一人について学べ

 たとしても、君達の今後の人生に大きな光となるだろう」

 生徒達はじっとその言葉に聞き入りました。


 生徒の一人は、彼が学べと言ったー偉人たちーについて学びました。

 それは、卒業式の日に彼が伝えたように、すばらしい世界でした。

 「真理に生きた人々、その人生はすべて尊い」そう感じました。

 その生徒は、特に、釈迦にひかれました。そして次第にその心は

 郷土(岡山)の生んだ偉人、浄土宗の開祖法然、そして浄土真宗

 宗祖親鸞にたどりつきました。

 自身もまた、宗教(仏教)の道を歩みました。


 生徒達が、ある年代になった頃から、金川高校も(福渡高校と合併し)

 御津高校へと名が変わりました。その頃からよく同窓会のような集まり

 を開くようになりました。

 その都度、彼のことは皆が思い出しました。そして、彼の思いでを語り

 合いました。誰も彼のことは、忘れていませんでした。

 -仏教の道ーに進んだ生徒も、ことあるごとに彼のことを思いだしました

 た。-彼のこの頃のささえは聖書だったのだ。いつも読まれていたー

 ヨハネによる福音書ーはその後、この生徒も何度も読みました。

 (はじめにことばがあった・・)で始まる、この有名な福音は深淵なる

 哲理を示唆していた。福音書の(パプテスマのヨハネ)は後からくるキリス

トを預言した洗礼者である。この福音を何度も読みながら彼がみつめていた

世界、それはどんなに深く広い世界だったことだろう・・・。

  

 ここに壱枚の写真がある。その当時の彼と母親が写っている。

 車いすに乗った、穏やかなそして理知的な彼と、その後ろに優しそうな

 母親が立っている。生徒達の記憶にある、彼と母親の姿に間違いない。

 

「光芒」-こうぼう-という言葉がある。「光芒」とは闇を照らす光のことである。

 この時の金川高校三年A組の担任、彼、小野 栄一郎先生、彼こそ

 まさに「光芒の師」といえるのだろう。

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