掲示板 2月

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人の世の

今月の法語・・なんですが、或る女子学生の言葉として記されていました。

味わえば、なんとなく「女性の思い」の様なものが伝わってきます。

耐えがたい人の世で、耐えること以外に生きる術を見出すことが出来ない私

人の世の塵にまみれても尚、生きていかなければいけない私。そんな私の生

きる支え、「杖」と言えば・・・仏様という「真実」以外には何もない・・

のでしょう。この女子、とはいつの時代の方でしょうか、現代の方ではなさ

そうですね・・。深い内省心と教養を持ちながらも、時代の流れに翻弄され

「思わぬ境遇」に押しやられた自己を受け入れながらも、懸命に生きて行こ

うとしている強い意志を感じさせます・・・。

赤磐市から、東へ数十キロ程の所に「室津」という漁港があります。昔より

船旅交通により栄えた港町であり、また「遊女」の発祥の地であるとも云わ

れています。法然上人が讃岐への配流の途中、この室の泊での遊女たちとの

出会い、そして彼女たちへの「命の御法」は後の世にもよく知られているこ

とでもあります。船乗り相手に「春をひさぐこと」を生業にしていたであろ

う彼女たち・・法然上人という高徳の僧侶の話を聞き、どうか「救いの道」

を教えて欲しい、その一心で法然の乗る船に近づいて行きました。そして、

現在の自らの境遇と、これからの生きる道を乞うたのでした。そんな彼女ら

に向かい、「ひたすら念仏するだけでよい」ことを告げ、更に、「念仏は

あなたたち女性こそ、最もふさわしい救いの対象であり、念仏こそあなたた

ちを救う、最も正しい道なのだ」と諭したのでした。そう語る、法然の慈愛

に満ちた眼差し、それは紛れもなく「真実の教え」として彼女たちを、温か

く包んだことでしょう・・・。

この「遊女」は友君として知られています。実際の友君は、源氏の武将木曾

義仲の側室だったということで、平家のために京を追われ、たった一人の従

者を連れてたどりついたのが、室津でした。ここで、港の女たちに礼儀作法

華道、歌などを教えていたということでした。

この友君に法然は、(かりそめの色にゆかりの恋にだに  あうには身をも

惜しみやはする)の一首と名号を渡して去っていったと伝えられています。

友君とは、遊女発祥の地での、ひとつの総称なのでしょうか。


それにしても・・人間というもの・・女性というもの・・・。

気が付けば、好むと好まざるに限らず、こう成っていた・・。ということが

しばしばあるでしょう。生きて行くためならば、どんな姿にでも成らなけれ

ならない。どんな状況をも受けて行かなければならない。時にそれは、世の

常識の「秩序の外」の住人になっているかもしれない。それでも、あの人は

「念仏を称えるだけで救われる」ことを、教えてくれた。仏を頼りにすると

は「念仏する」とのことである。その・・「念仏」とは、「必ず救う」との

地獄の底までも届く大いなる呼びかけに、こたえることなのでしょう・・。

                        南無阿弥陀仏

立位南無 薄みどり (566x800)

                       
 

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