けいじばん6月

けいじばん6月

なにがあっても

今年は、戦後74年目になるのでしょうか・・毎年この時期になりますと、

まずは、岡山大空襲のことが話題になります。暑い、夏になりかけの6月

29日の早朝の出来事だったと聞いております。アメリカ軍の爆撃機B29

による、岡山への爆撃でありました。この空襲により、岡山では、1700

人以上の方が亡くなられたそうです。今となってみれば・・被害に遭われた

方やそのご家族はもちろん、攻撃した側にとっても、辛い思いしか残っては

いない、数時間の出来事であったことでしょう・・・。その朝の岡山市は

灼熱の炎に燃え揺らいでいたとのことでした。早朝、深い眠りについている

人々を突然襲った、焼夷弾の雨嵐、突然の出来事に戸惑う人々。恐怖と不安

の朝を岡山市民は迎えなければならなかった・・・。


それでも・・ある若い女性の教師の方は、避難場所の一つである小学校へと

向かった。自らが勤務している小学校でもあり、そこには学区の子どもたち

そして、教え子やその家族がいるはずだ・・彼女は身の危険を忘れ、ひたす

ら走って行かれた・・・。また、或る若い母親は小学生の長女の手をしっか

りと握りしめ、生まれて間もない下の娘を背中に背負いながら、命がけで炎

の中を非難させていった。

また、その近所に住んでいる男の子は、自分も大声をあげて泣きながら、

家族から離れたのであろう顔見知りの女の子、の袖をつかみ、必死に安全な

場所へと連れて行こうとしていた。

思えば、その時、数多くの「命を懸けた救済のドラマ」も、岡山の町では展

開されていたことでしょう・・・。


数年前の、この「岡山空襲の日」、私は後楽園の前、旭川の付近を独り歩い

ていた。梅雨の合間の、わりと天気の良い午前中だった。ふと、川岸にある

ベンチに目をやると、そこには二人の男女が座っていた。お二人とも、もう

高齢・・といってもよい年代の方だろうか。特に話に夢中になっているとい

う様子でもなく、川面を見つめながら、静かに言葉を交わしているようであ

った。女性のかたが、脇に置いてあったポットから飲み物をコップにつぎ、

軽く会釈しながら、男性へとそれを渡していた。男性も少し会釈しながら、

それを受け取ると、すぐさま口元へと持っていかれていた。そして、女性の

方に向かい微笑まれていた。女性のかたは、その美しく整えられた白く輝い

ている髪の毛をわずかに上にかきあげると、今度は自分にと、コップに飲み

物を入れると、それをゆっくりと自分の口元へと持っていかれていた。

お二人は、しばし沈黙の後、川の流れに目をやりながら、そして岡山の中心

地へと心は移って行くかの様であった・・・。

その後、私は、岡山城へと向かい、市民会館付近で催されていた、コンサー

トの催しに少し耳をやり、再び後楽園近くまで戻った。しかし、先ほどの二

人の方の姿はもうありませんでした。それほど「時」が経っていたわけで

は、なかったのですが・・・。ご夫婦だったのでしたでしょうか・・それと

も、苦く辛い・・けれども、深い時を共有した方達だったのでしょか・・・

それはわかりませんが。

遠く思えば、あれから・・・一言では語りつくすことの出来ない、「人間の

生」というものが、そこにはあったのだ、ということなのでしょう・・・

               南無阿弥陀仏
立位南無 薄みどり (566x800)

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