掲示板 5月
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世親(天親)の浄土論では、阿弥陀仏の浄土に生まれる五つの行と、その結
果としての五つの功徳を五念門といいます。五念門とは礼拝門・讃嘆門・作
願門・観察門・廻向門の五つです。その中の観察門(かんざつ)ですが真宗
新辞典には、信心の智慧で浄土の荘厳を思いうかべ、往生して見仏しさとり
を得るーとあります。この部分だけいただきますと、何か一種の観想法の様
な印象を受けます。まぁ、その結果としての五功徳門では(宅門・屋門)と
は作願・観察により止・観を成就するとありますので、もとはそうなのかも
しれません。しかし「浄土に生まれるための行」も入出はどちらも他力であ
るとの宗祖のご解釈により、その意味も具体的に身近な場面へと引き寄せら
れてくるのを感じております・・・。
如来廻向の信心の中に現れ来る地上の光景こそ・・真実の行なのでしょう。
「もう~、テンテコマイよ!」というのは平成22年3月の初旬の友人の電
話での最初の言葉でした。初孫が生まれるのを待ちに待った友人の喜びの声
でもありました。彼女、が誕生したのは3月4日、桃の節句の翌日でした。
受話器の向こうからは彼女のなきごえやら、彼女の母親の声やら、慌ただし
く混じり合い、とてもゆっくりと話しが出来る状況ではないことを感じさせ
ました。その時、実は私は所用で尾道市にでかけており、岡山への帰りの電
車の中にいました。芦田川を越え、福山の駅に到着する間際でした。
今電話で話している友人の家のある方角に目をやりながら、友人宅の情景を
心に浮かべていました。「テンテコマイ!の様子なので(笑い)、とりあえ
ず電話はきります。では、また。」そう告げて携帯電話をきりました。ちょ
うど電車は福山駅に到着しました。ここで多数の人々が下車します。広々と
なった夜の電車の中で、隠し持っていた缶ビールの栓を抜き、ぐっと一口飲
み込みました。駅周辺のネオンの明かりが急に輝きを増した様に感じられま
す。「これから、賑やかになるな」などと独り思いながら、電車の外を見つ
めました。窓越しに見える光景は立ち並ぶマンションではなく、友人とその
娘の姿でした。初めて出会ってから、もう二十年以上になります。それは私
が会社の転勤で福山の支社へと赴任した頃からでした。まだ、小学生だった
娘さんは、いつも友人と一緒にいました。時に、隠れる様にしながら手をし
っかりと握っていました。3月4日に生まれたのは、この娘さんの子供です
何か・・不思議な気持ちを感じながらも、その余韻に包まれていきました。
走馬燈ーとは適切な表現です。私の知る限りでの・・友人と娘さんの歩んで
きた道のりが、瞬く間に浮かび、そして消えていこうとしました。けれども
暗闇を走る、夜の電車の魔力はそれを許しません。過ぎ去ろうとする記憶を
再び鮮やかに蘇らせ、目の前に現在の光景としてたちあがらせてくるのです
私はその光景を、もう一度見つめ直しました。懐かしい今生の一コマに温か
な思いが湧いてくるのを感じていました・・・。
南無阿弥陀仏