人生はサーカスⅢ

人生はサーカスⅢ

俳聖

夕暮れ

人間は、若い時代には、将来の自分の姿を、何ものかの姿に重ね合わそうと

するらしい。ー成りたい自分ーということだろう。そうした、自己の目標と

なる人物が見いだせる機会があるのではないだろうか。身近にいる人物で

あったり、時代の著名人であったり、憧れのスポーツ選手であったり、ある

いは・・・歴史上の人物であったり・・自分の「想い」を投影できる人物が

見いだせるのではないかと思う。そこには、自己の生き方の発見に繋がる場

合もあるのかもしれない。


十代の私にとっても、そうした人物は現れたのだった。昔の人物だ。江戸時

代の方である。正保にうまれ、元禄にこの世を去り俳諧の世界に大きな功績

を残した、あの人物・・・松尾芭蕉である。しかし、特別に「俳句」そのも

のに関心をもったわけではない。それは・・・「旅」にある。「旅」の中に

自己の芸術の完成を見出し・・それを実際に行った、芭蕉の生き方に感銘を

受けた・・といったところだろうか。「旅」の光景は移り変わる姿そのもの

である。それは、「我々の人生の縮図」というよりも、「真実の相」とも言

えるかもしれない。人生は旅、とはよく言われることだ・・だが実際は・・

旅こそ人生ではないか・・・などと若い私は感じていた。


芭蕉が生まれ故郷の伊賀上野(柘植説もある)を離れ、江戸に出たのは、寛

文12年芭蕉29歳の時である。その後、江戸俳諧においては僅かの期間で

頭角を現し、36~7才頃まで大きく活躍している。しかし、思うとこあっ

て小田原から去り、隅田川向こうの岸深川へと隠遁している。

その後、深川大工町の臨川庵に仏頂禅師を訪ね、禅を修しているのだ。

ここには芭蕉の自己のこれから目指そうとする俳諧芸術への深い覚悟と、新

しい俳諧への模索・・様々な思いがあったのであろう。

「俳句」とは、様々な心中の動き・・思いの蓄積・・そうしたものが、ある

瞬間、心の表面(表層の意識)へと、忽然と姿を現す「閃光の一瞬」である

この時に芭蕉は「風狂の心」に目覚めたとも言われている。その数年の後貞

享元年芭蕉41才の秋、江戸を立ち、生まれ故郷の伊賀上野へと向かう・・

「野ざらし紀行」の旅である。

野ざらしを 心に風の しむ身哉

秋十とせ 却て江戸を 指故郷

この「旅」は天和2年、江戸の大火のため、深川芭蕉庵は類焼し、芭蕉は甲

州を流離った。江戸にもどったのは、翌年5月ごろであると言われている。

次第に深まり行く「風狂者」としての思い・・翌年貞享元年秋、江戸を立ち

帰郷の途につく・・これが後に「野ざらし紀行」としてまとめられたもので

ある。当時の俳諧師は世間的には、「遊民」と見なされていた。

芭蕉、真の「旅」の始まりである。先に記した「野ざらしを・・・

の句は、

旅の途中、道に行き倒れて白骨を野辺にさらしても・・と覚悟

を決めたわたしである・そんな私の心だが・・この秋風は妙にしみて

くるのだ・・』との思いである。

ここには、この「旅」においての芭蕉の悲壮なまでの気持ちが伝わる。

芭蕉は「僧形」において、旅したという・・・。


芭蕉のひとつの旅の集大成は「奥の細道」であろう。これは俳諧を通して、

人間の心の、ある種の極みへと向かおうとする、すぐれた求道者である芭蕉

の「気負うことのない求道の作品」とも言えれる・・・

そんなことを、感じていたのだ・・・そして、この人の様に生きたい・・と

本気で考えていたのだろう。

              南無阿弥陀仏

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