ケイジ板6月

ケイジ板6月

蔵

令和二年六月

真宗の寺院で、お地蔵さんが、ということなのですが、これはうちのお寺に

おられる「頷き地蔵さん」のことなのです。

このお地蔵さんは、祖母が亡くなった年に、信徒の方から頂いたものでし

て、本堂の奥隣りに安置させていただいております。何か、ユーモラスなお

顔立ちで親しみの湧くお地蔵様です。

数年前に、このお地蔵様の横に「頷」という文字を掲げていたところ、拝み

に来た中学生の男の子が、その字が読めなかった。そして、家に帰って調べ

たところ、「うなずく」と読むことがわかった。すると翌日の試験に、その

文字が出て、驚いたということでしたので、それ以来「頷き地蔵」とよんで

いるのです。本来はまた、別の意味があったのですが、まぁ、それはそれ。

ただ、そんなお話をお聞きすると何か楽しいですね。早朝に、夕方に、この

付近を散歩されている方々が、ちょっと立ち止まり、拝んでいかれるご様子

を拝見させていただいておりますと、やはり、嬉しい、ですね!


さて、五月の半ば過ぎに岡山でも緊急事態宣言の解除に伴い、恐る恐るでは

ありますが、世間は動き始めました。学校も公立、私立、それぞれの立場で

、状況をよく見定めながら、活動を開始し始めました。5月の半ばに出会っ

た、今年中学に入学した従兄妹の子供も、少し寂しそうな様子でした。

中学になってからも、大好きなサッカーを思いきりやれると期待していただ

けに、もどかしい思いで胸がいっぱいだったでしょう。


5月も後半頃から、赤磐では小学生の集団が突如として現れ始めました。

コープ連絡所横の交差点では、大勢の児童たちの安全を願う父兄たちが、

祈るような表情で、引率されておられます。低学年から高学年の児童まで

全員マスク着用、順序良く並んで、引率される方の指導に従っています。

少しだけ・・笑顔がもどってきたのでしょうか。少しずつ元気を感じ出しま

した。何十年か経った時・・この子たちが大人になった時「今年」の、友達

とともに体験したこの共通の思いを、強い力へと変えて、良い人生を歩いて

もらいたい。そんなことを・・考えておりました。


6月・・今から75年前の6月29日、岡山市は「大空襲」の被害に遭いま

した。終戦の約2か月前です。この時の惨劇は、今も体験された方々の胸に

深く刻み込まれています。恐ろしく、悲しく、辛い、体験でしたでしょう。

しかし、この世の・・人間が生きているという事の・・その最も深い所で、

それは・・・切実なる人生への肯定として、心に残っていることでしょう。

岡山では、この時期、地元紙の山陽新聞では、岡山空襲の記事が掲載されま

す。75年前には、まだ子供だった方々・・・その後の人生を、生き切って

こられた方々の、思い起こされる人生は尊い。


5月、特にこの新聞は熱意に満ちた、企画、記事、コラムで溢れていた

のではなかったでしょうか。

24日まで、5回シリーズで掲載された「岡山の先人に学ぶ」は岡山出身、

岡山で活躍された著名人の紹介であった。企画広告という形であったが、

この時期に、これを読まれた多くの方がたは、「本当の力」を受け取ったの

ではないだろうか。

それは「人として表現された生き方」でもあり、「言葉」、「言葉」で

あるのだろう。

やはり・・人に伝えようとする「真心」は「真心」として、伝わるものなの

でしょう・・・

      南無阿弥陀仏

立位南無 薄みどり (566x800)

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