掲示板(N7月)

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七月

すべての人は、みな師なり・・・。ですね。作家の吉川 英治さんの座右の

言葉、「我以外皆我師」を思います。家庭の事情から小学校をも中退しなけ

ればならなかった吉川 英治さんの、人生そのものを学びの場と感じ、生き

とし生けるものすべてから学んでいった、実感の言葉だったのでしょう。

自惚れた心からは、決して生まれることのない、頭を下げ切った世界がそこ

にはあります。吉川さんはまた、仏教の言葉であります「生涯一書生」の

気持をも大切にされたそうです・・・。


以前、私にはかなり年下の友人がいました。彼は有名高校を卒業後、私

の勤めていた会社でアルバイトをしていました。最初出会った時には、口数

の少ない真面目な青年だな、というくらいの印象でした。それが、ふとした

きっかけから、言葉を交わすようになり、次第に親しくなって行きました。

彼は、彼自身の現在の悩み、興味、そして今までのことなど、多くを打ち明

けてくれました。高校時代、ひじょうに優秀だった彼は、大学受験を目指し

て努力するなか、体の調子を崩してしまいました。そして、苦しい心の中

次の目標に向かい学び始めていました。純粋な彼の打ち明ける「心の悩み」

は私には、よく理解できました。そして、その度ごとに、当時の私にできる

精一杯のアドバイスをしていたつもりでした。しかしそれは、結果の出る

アドバイスではなかった。それ程、当時の彼の「苦悩」は根深いものだった

のでした・・・。彼からは、ほとんど毎日のように「メール」がきました。

私もまた、思いつく限りの返信をしました。それは、二年近く続きました。

彼からの「メール」のこない日は、ふと寂しく感じたりもしました。そして

数日後、また連絡があると、何かほっとした気持ちになるのでした。

彼の「悩み」を聞く、それに答える。そうした状況が繰り返されるうちに、

何か私自身の中に「尊大な気持ち」が芽生え始めようとする時がありました

自分の中に目覚めようとする「自惚れ」をその度ごとに心の外へと捨てて

行きました。そして、そのたびごとに「ありのままの自分」を見つめること

が出来るのでした・・・。

その後、家庭の都合で、彼は転居しなければならなくなりました。

私の状況も変わりました。それ以来、彼とは会う事も、連絡を取ることも

次第に無くなっていったのでした・・・。

この「今月のお寺の法語」を見つめておりますと、数年前の、彼とのことが

思い出されてきました。今思えばアドバイスをしていた、何かを教えてい

た、つもりでしたが「教えられて」いたのは、実は私のほうだったのだ。

その時の、彼の苦しい思いが真剣であればあるほど、私もまた真剣に聞く。

そして何らかの解決策を伝える。それは私自身の中に潜んでいる「何物か」

と対座することでもあり、凝視することでもありました。彼との対話の中、

私自身気付き得なかった「私」と出会うことでもあったのでした。私にとっ

ては彼は、感謝すべき人、であったのでした。そのことが今はわかります。

その後、三年ほど前、一度連絡を取りました。以前とおおきな変化のない日

々なのでしょうか。それは電話だけでは伺い知ることが出来ませんでした。

しかし、現在も、これからも、共に精進の道の中にあることを念じ

て・・・

                        南無阿弥陀仏
立位  赤紫  (566x800)

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