正見寺 藤の会Ⅳ

正見寺 藤の会Ⅳ

頷き地蔵さん


道を往く女性(ひと)

平成二十八年十二月、冬至も近づいてきたある日、紅風は夫の所用に付き

添い、岡山に来ていた。夫の用事が終わる夕方までの時間、表町で会うこと

にした。表町には彼女のよく行く書道の専門店が近くにあり、また丸善もあ

る。何かと便利のよい場所である。昼過ぎより、今はシンフォニービルの地

下にある丸善で書籍を選び、その後1Fの北側に面した喫茶店Jでお茶を飲ん

で過ごすことにした。改めて窓越しに見る岡山の街は懐かしい気持ちを呼び

さます。私も紅風もこの近くの町で育った。東には後楽園、岡山城、西には

岡山駅へと続き、商店街を歩けば天満屋がある・・。それはこの町で育った

者たちには、共通の思い出ではないだろうか。月日は過ぎ去ってはいても、

そこには変わらない「歴史の息吹」が漂っている。限りない安らぎは、この

風景の中にある。しばし、私たちはその想いに浸っていた・・・。

さて、以前、紅風とは「雅号」であると告げた。「雅号」とは画家、文人

などがつける本名以外の名である。彼女の場合は書道者としての名前である

若い頃に津山出身の書道家U・K師に手ほどきをうけその後岡山の女流書道家

I・R師に師事した。現在書道界においてI・R師、彼女の名を知らない人はい

ないだろう。私もまたI・R先生のことは存じあげている。紅風が先生に書を

教わっていたのは、町のプロテスタントの教会であった。幼稚園を敷地内に

併設していたその教会の一室を借り、先生はこどもたちにも書を教えられて

いた。近くの小学生、中学生などもたくさん習いに来ていたのではなかった

だろうか。丁寧で、時にきびしく、そして優しく教えられていた。

それは真剣そのものであった。そして、その姿は・・美しかった。

私は子供心にも、紅風について教会に行くのが楽しみだった。先生の教える

姿、に会えるのが楽しみだった。先生は順番に一人一人の後ろに立ち、時に

手をかざしながらじっくりと教えられていた。それはまるで、心を筆に託し

て、心を伝えようとしているかのようだった。

ある時、その幼稚園に備え付けられていた子供用の「ぬいぐるみ」を生徒の

子供たちが破いてしまった。それは当時としてはかなり高価なものだった。

教会の人たちは、「子供たちのしたことなので」と温かい心で、それをとが

めることはなかった。けれど、お気に入りの「ぬいぐるみ」を壊されてしま

った園児たちは、悲しかった。先生はその「ぬいぐるみ」と同じものを買い

、そっと幼稚園に寄付されていた。それは、後にわかったことだった・・


数年の時が経ち、中学生になったばかりの頃であっただろうか、自宅の近く

で偶然先生に出会った。初夏の頃だったのだろう、限りなく白色に近い薄い

ベージュの服に身を包まれた先生は日傘をさしておられていたと記憶する。

土曜日の昼下がりのゆったりとした、時の流れの中で、先生は教会の方から

歩いて来られていた。生徒たちに教えた後だったのだろうか。先生は私に気

付き、私も先生に気付いた。先生は懐かしそうに話しかけてくださった。

しばし、先生との立ち話が続いた。

数年前と変わらず、優しかった。そして、美しかった。短い時間の中、近況

などお伝えしたように思う。当時の先生は、無口ではないが、物静かな方だ

った。相手の話によく耳をかたむけられ、よく理解してくださっていた様に

感じる。

その場で、先生とは別れた。先生はゆっくりと東の方角に向かって歩いて行

かれた。私はしばらくの間、先生の後ろ姿を見送っていた。「世間」という

時の流れにあって、「世間ならざる道」を歩かれている様な静かでしっかり

とされた歩みであった・・。

それから、数十年の間先生とはお会いしていない。しかし・・その後私は時

折この日の先生の後ろ姿を思い出す。「書道家」という道。その道を歩んで

行かれるということ、それは簡単なことではないだろう。しかし、この頃の

先生はもうすでに、「深い覚悟」を持たれていた様に思う。先生は既に強い

「書」からの「道念」に導かれておられたのだろう・・。

それから数十年の間、天神町の文化センター、天満屋葦川会館などで催され

る「書道展」のポスターには、常に先生の名が見受けられた。年が経つごと

に、書道界における先生のお立場が、ひじょうに責任のあるものへと変化さ

れていることが、私のような門外漢にもよく理解できた。

先生は一道を貫かれておられるのだ。尊いことである・・・。


実は、紅風は今・・「書」への思い忘れ難く、再び学び始めた。月に数度、

岡山に来ている。師はI・R先生なのだ・・。

そして


時が経ち紅風の夫が迎えに来る時刻が近付いてきた。約束の時間になった。

ほどなく、喫茶店の前に車が停まった。中から、180㎝以上の長身の紅風

の夫が笑顔で出てきた。紅風はそそくさと帰り支度を済ませ、表に出ていっ

た。私も一緒に表に出て、久々に会う兄(叔父)に挨拶をした。変わらぬ笑

顔であった。

紅風夫妻をその場で見送った後、喫茶店に戻りしばしの時を独りすごした。

もう夕暮れが近づいてきた街の景色は何か郷愁をさそう。車を近くの駐車場

に止めたままにして、少し付近を歩いた。歩道を渡り気がつくとカトリック

教会の近くまで来ていた。クリスマスにはまだ少し早い。恒例のイエス誕生

の「馬小屋」はまだ完成されてはいなかった。教会の中に幾人かの人々が入

っていった。見上げれば新しくなったチャペルの塔の上に、十字架が夕闇の

中に浮かんで見える。陽はもうほとんど沈んでいる。しかしすぐさま闇へと

その姿を手渡すわけではない。中学校の合間から見える街の様相は濃い群青

に次第に包まれながらも、夕陽は最後の情熱を残そうとしているかの様であ

る。天空にはもう星が輝き出し始めた。冬の張りつめた空気の中、夜空は冴

えている。あと数日で今年の冬至、それから四日後にはクリスマスがやって

くる。今ではもう周知のことだが、クリスマスはイエス・キリストの誕生し

た日ではない。イエスの誕生を祝う日である。しかし、聖なる・・この空気

この景色、この星空、確かにキリストの生誕を祝うのに相応しい「時」なの

だろう・・・。

                        南無阿弥陀仏

    

 

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional