けいじ板1・2月

けいじ板1・2月

令和4年(新春/如月)
釈尊の教え
犀の角
令和4年2月24日

二月もはや後半ですね、今年もまた昨年同様の社会的な緊張のもとに、慌ただ

しく時が過ぎ去っています。(ロシアのウクライナ進行も、目が離せません)

オリンピックも各国の選手たちには激励感は持つものの・・どうなのでしょう

本来のひたむきな競技、演技のみに集中できる緊迫感はどうだったのでしょう

か・・目には見えない「コロナ禍」という情報と言葉の霧の中で催され、これ

からまだ始まる(パラリンピック)は、観客の一人としては、選手たちに対

する敬愛と同時に、手放しで応援できない虚しさにも似た、もどかしさ・・

何かそんなものも感じております。しかし、取りあえずは、無事に終了する

ことを願わずにはおられません。   南無阿弥陀仏


さて、毎月ご本山(ほんざん)から送られてきます、門信徒様への配付文書

WITH AMIDA(あみださんとご一緒)もイメージキャラの(てんなんくん

おりちゃん)もとりあえずひと休憩、『教学伝道部』の執筆へとバトン

タッチしました。Slogan(標題)も(伝えようまごころとやすらぎのお念

仏)から(うけつぐ み教え 伝えよう 悦びのお念仏)へと変わりまし

た。どちらも味わい深く、親しみのもてる標語だと感じます。

しかし、それにしましても、「仏教」そもそも「仏教」とは何でしょうか。

わたしたちにとっては、あまりにも親しみ深い、あまりにもあたり前に受け

入れているこの言葉も改めて考えますと、いくつかの側面から説明が出来ま

す。まずは『仏の教』すなわち、悟った人釈尊の教え(宗教)。

そして『仏という教』釈尊の正覚した法の教え(宗教)

さらに、『仏に成る教』衆生成仏の教え(宗教)と

考えることが出来ます。しかし・・私たち真宗のものにとっては「仏教」

とは、その具体的な実践の場、念仏の聞法の場へと身近なものになっていま

す。すなわち、寺院、寺院でなくても(同朋との集いの場・・教団)という

ことになってきます。身近な日常生活の場へと「仏教」は「仏法」として

処方され、身心を潤し、治癒する力へと具体的影響力をあらわすものと変容

していくと言えるのかも知れません。


私(浄海)がこの「仏の教え」に出逢ったのは、いつ頃だっただろうか。

十代の終わりか・・二十代の初め・・か。何十年も前のことでしょう。

もともとが「寺院」の生まれではありませんでしたが、家族も親族も皆が

お念仏のみ教えに生きている「御同行」でありました。

二十歳くらいの頃でしょう、やはり人並みに「自己とは何なのか」と思い煩

う時期があったのではないかと思います。大学は東京に行っておりましたが

、休みの時には、岡山で過ごす期間も多かったのではないかと思います。

岡山の町は懐かしく、特に中心部は躍動の中にも穏やかさに保たれ、東京の

ような「都会」とは言い難いですが、それなりに賑やかでもありました。

故郷で過ごす時間は友人と過ごすか、或いは一人の時間を、ぶらりと書店

巡りなどしていたのではないかと思います。受験時に参考書など求めた馴染

みの書店などは、(少し大袈裟な言い方をすれば)ー求道の宝庫ーへと変わ

っていたのかも知れません。相も変わらず「読書」などが生活そのものであ

ったのです。(インターネットもDVD)も存在しない時代です。

紀伊国屋、丸善、細謹舎など訪れる書店はお決まりでしたが・・。

新宿にも紀伊国屋ビルがあり、そちらもよく行きましたが、岡山の書店は

様々な記憶に彩られ、ただそこに居るだけで心地のよいものでした。

「丸善」などはその最たる場所でした。現在でも、まぁ頻繁に訪れる書店で

す。そんな中で、今ではもう閉店してしまった書店も少なくはないでしょ

う・・・「細謹舎」なども閉店してから、かなりの年月が経つのではない

でしょうか。書店

そんな中でも店名ももう忘れてしまったが、その二十歳頃の記憶に忽然と現

れ、そしていつの間にか閉店(なのだろう・・跡形もない書店がある)

岡山にS町という商店街の一角があったが、そこに中規模の書店があった。

いつ頃から営業していたのかさえ、曖昧なのですが、確かにあった。

それほど何度も訪れたというわけではないのですが、各ジャンルごとにコー

ナーが分けられ客に親切に、よく整頓されていました。

やはり私などは、「宗教、思想、哲学」と仕切られたコーナーに自然と足が

むきます。この店はなぜか、精神世界関係の書籍が多かった気がします。

仏教書はもちろん、キリスト教、中国思想、インド哲学、そして新宗教のも

のも幅広く置かれてありました。おそらくは、この日でしょう・・この

「ブッダのことば」に出会ったのも。「ブッタのことば」スッタ二パータ

である。二月(如月)の掲示の「犀の角」はこの日、偶然立ち読みしたもの

だったのではなかろうか・・・。「定まらない心」に強い衝撃を受けた記憶

がありました。この「犀の角」は、スッタ二パータの中でも比較的よく引用

される第一(蛇の章)の三の集句です。ここでは、いずれもがブッダの言葉

として「犀の角のようにただ独り歩め。」の語句で纏められています。

『スッタ二パータ』(Sutta-nipata)のそれ自体は「スッタ」とはたていと

「経」の意味であり、「二パータ」とは集成の意味であります。原始仏教に

おいて、ブッダが明らかにした永遠の真理を伝えることばであることを、目

指しているわけです。南方アジアに伝わった五種に分かれた経典『二カー

ヤ』の第五のものである『クッダカ・二カーヤ』(KhuddaKa-niKaya)、

さらに15に分かれているもののうち第五に相当する。これが、漢訳されたも

のが『阿含経典』です。ブッダ

今回ご紹介しました『ブッダのことば(スッタ二パータ)』は学問的研究と

いう立場によりますと、多数の仏教諸経典のうち、最も古いものであり、

歴史的人物としてのブッダのことばに最も近い詩句を習性した聖典であると

いわれております。多くの人々がこの聖典により、ブッダの教えに触れると

いうのも、その簡素さの中に教えの本質が述べられているからでしょう・・
  
    南無阿弥陀仏

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