掲示板10月
掲示板10月
10月に入りましても、今年は未だ暖かい日が続いております。なかなか、
秋風に吹かれながら・・というわけにはいきません。それでも境内にありま
す二本の柿の木は次第に色づき、毎年冬には花を咲かすサザンカは、小さな
芽を出し始めました。確実に季節は変わろうとしているのですねぇ~。
先日、父親と一緒に、かねてよりの知人の、満中陰法要から納骨法要を勤め
さしていただきました。父も私もよく存知あげ敬愛していました方だけに、
感慨もまたひとしおでした。厳粛なる趣の内、満中陰法要を終え、墓苑への
移動をしかけようとすると、傍らのイスに座っていた長身の人物が私に声を
かけてきました。えっ、と思いながらもその人物の顔を見ると、何十年もの
付き合いのある友人そのひとでした。ここ数年はお互いの仕事の都合もあり
会えないでいた友人でした。読経中も傍らから私の顔を見ながら、似てるな
と思いながらも、私本人とは一致しなかったようでした。まぁ、彼にしてみ
れば、初めて見る法衣姿の私は別人に思えたのでしょう。しかし・・ありが
たいことでした。
さて、今月のお寺の法語なのですが、歎異抄の第七条に由来する部分です。
本文は、「念仏者は無礙の一道なり。」で始まり、「天神・地祇も敬伏し、
魔界・外道も障礙することなし。」と説かれている箇所ですが。
天神(てんじん)とは天上の神々の意味で梵天(ぼんてん)帝釈天(たいし
ぁくてん)など仏教を守護するとされる神々ならず、インドの神々一般をも
指すとのことです。地祇(ちぎ)とは、土地の神、国土の神のこと。
「魔界(まかい)・外道(げどう)も障礙することなし。」は今回は省略さ
れておりますが、そもそも「魔」とは心身を悩ませて善事をさまたげ、煩悩
によって菩提を妨げるものであり、自己の身心から生ずる「内魔」と外から
加わる「外魔」として説かれております。また「外道」とは仏教以外の教説
思想、またはそれを信奉する者をいいます。
この「天神・地祇」が敬伏するとは、「念仏者」が無礙の一道だからであり
ます。念仏者が何ものにも妨げられることのない「道」であるからです。
「魔界・外道」も障礙することがない、とは「念仏」は仏力をたのむが由に
もともと「魔障」もなく、他力を説くことのない「外道」の教えを超えたも
のである、ことを告げておられます。「よるひるつねにまもるなり」は宗祖
の現世利益和讃で繰り返し嘆じられている言葉です。「念仏の人」・・・は
「守られている」・・大いなる感慨以外のなにものでもありません。
南無阿弥陀仏
(※2017年10月)