人生はサーカスⅨ

人生はサーカスⅨ

喫茶K館

隣席の女性たちの声が、大きく聞こえだした。真剣に何かを議論している。

ふたりとも、ジャージ姿の軽装である。お互いが手にもつ「資料」を見せあ

いながら、話を進めている様だ。近くの介護ホームの職員の方らしい。

今、たいへんな時期である。彼女らも、命を守る立場の人たちである。

真剣にならざるを得ない。

私と紅風の座る、反対の席に座している男女に、目で挨拶をすると、二人は

席を離れた。さっきから、ノートパソコンに集中しているこの二人も、先程

の方がたの同僚だったのだろう。私たちは、気づかず、彼らの「間」に座っ

ていたわけだ・・。コーヒー


やがて、紅風のスマートフォンが鳴り出した。何の曲だったかな・・。

そろそろ、夫が用事を済まし、迎えに来るとの連絡だ。それにしても、時間

に正確だ。約束していた時刻に丁度ということだ。我々も立ち上がった。

周りを見渡すと、入店した時とほとんど変わらない客数である。

会計を済まし、店の外へ出た。信号の向こうから、車が見えた。

広い駐車場の中へ入り、私たちの姿を見つけると、すぐさま横へ止まった。

相変わらずの笑顔であった。私も近寄り、挨拶を交わした。

ここから、津山までだと一時間半ぐらいだろうか。少しづつ、長くなりつつ

ある、春の昼下がりである。まだ、明るいうちに帰れる。私は、道中の無事

を告げ・・そしてその場で、二人と別れたのだった・・・。


この店に入ってから、二時間も経っていなかった。コーヒー

その間に私たちは、コーヒーを二杯づつ飲んでいた。紅風の母、すなわち私

の祖母のことを話していたのだったが・・・短い時間の様であった。


そういえば・・人生が、サーカス。 などとは、あれは何だっのだろう。

それは、小学校の夏休み前に、学校の図書館から無造作に借りて来た「本」

の題名だったと思う。「人生は サーカス」であったと思う。

そうだなぁ、サーカスか。「サーカス」は、観客としては、楽しむもの。

そして、演ずる者としては、時に命がけのパフォーマンスだろう。時に、で

はない・・・そのほとんどがそうであろう。しかし、この命がけの演出は、

限りなく魅力的なのだ。それは、「日常」の世界ではない。

「非日常」の世界である。われわれの、当たり前と思っている空間に、突如

として、それは「姿」を現すのだ。「非日常世界」の出現。それをどう受け

入れるのかだな、「人間業」では考えられないこと・・・が時として、人生

には起こる。


人と人との出会いも、というものも「離合集散」を動かす何ものかも

それは、「真実なるもの」として、我々の現前に出現するのだ。それは

厳粛にして尊いものだ。仏の世界・・「人間の知恵」の及ばない世界か

ら、それは躍り出てくるのだ。そして、我々は驚愕する・・。
宇宙


だが、それは、そのままで「人間の持つ大いなる可能性」あるいは、

「無限なる、心の許容力」をも証明しているのだ。

いまだに、その本の内容は思い出せないのだが・・微かに記憶をたどれば、

現実の人間世界では、ほとんど起こり得ない出来事・・・しかもその短編集

の作者の意図するところ、全作品に共通していたのは、人間世界に働き続け

ている「救済の思想」のようなもの・・・そのすばらしさの表現であった

様な気がする・・・。

悲劇でもあり、喜劇でもあり、シニカルでもあり、滑稽でもある、我々人間

の生である、・・しかし「この演出者の目論見」は、優しくあり、慈愛に満

つるものだった。そして・・わずかな隙の存在さえ見受けられなかった。

「人間の世とは・・・こうであって欲しい・・」などと、子供の私が感じてい

たのかどうかだが・・・。


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