掲示板 9月

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咲く花の

   願力無窮にましませば  罪業深重もおもからず

    佛智無邊にましませば  散亂放逸もすてられず

                        正像末和讃
                           親鸞聖人

真宗教団連合の法語カレンダー「9月」の言葉です。-まんまる月ーと題さ

れた関口 コオさんの切り絵が掲げられ、涼しき秋の一夜をしのばせます。

大正か昭和の始めの頃でしょうか、丸い大きな月を背景に姉弟と思える二人

のこども、そしてこの子供たちを見守るかの様に、先頭を歩く犬一匹、三つ

の生命が月明かりの下にくっきりと浮き出ています。胸に染み入る光景です


願力無窮(がんりきむぐう)にましませば・・は親鸞聖人がお作りになら

れた正像末和讃(しょうぞうまつわさん)の一つであり、カレンダーには前

半の部分があります。若い頃から私のたいへん好きな和讃であり、目を閉じ

て味わわせて頂きますと、たいへんな力強さを感じます。「罪業深重もおも

からず」に気持ちが向かいそうですが(もちろんそうなのですが・・)

願力無窮にましませばのお言葉をそのまま頂かないわけにはいきません。

願力が無窮だという事実(真実)であるがゆえに・・、と告げてこられま

す。この一言によって「無窮なる本願の世界」へと引き込まれていきます。

「信心」はよく、月をもって例えられます。秋・・の月は美しい。それは、

地上の衆生を照らす美しさなのでしょう。

秋・・はまた人恋しさの起こる季節でもあります。人恋しさとは、寂しさを

感じる気持ち。寂しさを感じる気持ちとは永遠に変わることのない「何か」

を求めたいとの気持ちにほかなりません。永遠に変わることのない「何か」

は人にはありません。それは、永遠に変わらざる「何か」にのみしかありま

せん。無窮であるということ、無邊であるということ、それだけが我々が真

に依ることの出来る根拠なのでしょう・・・。

                     南無阿弥陀仏

立位南無 薄みどり (566x800)

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