綱島梁川 哲学を超えて

綱島梁川 哲学を超えて

令和四年二月
梁川

平成25年6月京都大学に於いて、岡山大学名誉教授行安茂先生の講演があっ

た。父の郷里の先輩でもあり、私も面識のあるかたである。

夏間近のこの日の京都は、京特有のじわりとした熱気に包まれ始め、

鴨川の水面がやけに涼し気に思える一日であった。

その日、私は父親に誘われここ京都大学で催された講演に出席させて頂い

た。会場は超満員、廊下にも学生の波、以後、(岡山ー哲学ー梁川)と広ま

った・・・。


「梁川」(りょうせん)とは、岡山県高梁市有漢に生まれた哲学者綱島梁川

のことである。彼は明治九年高梁市に生まれた。本名は栄一郎、号を高梁川

に因んで梁川と名づけた。地元の小学校を卒業後、同校助教。十七才の時高

梁教会で洗礼を受けた。以後、早稲田大学に入学し、早稲田文学の編集にあ

たる。在学中グリーンの哲学を勉強し、「道徳的理想論」というテーマの卒

論を書き提出した。現在も、多くの大学では「道徳教育」の一環として、彼

の深い哲学が探求されている。明治二十九年、結核となり病床の生活となる

その頃、大乗仏教の「ただ念仏」の教えを理解し、神子としての「道徳的理

想論」の哲学が完成する。完成後の明治四十年九月十四日に死亡する。

三十四才であったという。梁川の言葉に、「大乗仏教とキリスト教とは親子

相愛の関係なり」とある。ここで言う「大乗仏教」とは念仏の教え・・親鸞

の教えのことである。以前、梁川の記したものの中にilluminationの体験の

ことが記されてあった記憶がある。illumination(イルミネーション)。

ここで言うilluminationとは「感応」のことである。「感応」あるいは、

「感応道交」ということである。

それは、求道の中から梁川が経験した「宗教体験」のことである。

私(浄海)自身は梁川については、未だ浅学のため、詳しくはお話しするこ

とは出来ないが、今後学ぶべき重要な人物として、真摯に接していきたいと

思っております。

                南無阿弥陀仏

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