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新春

令和3年1月3日
           【真宗法語カレンダー  1月

      私を生かしておる力  というものに  

        帰っていく歩み   それが仏道

新年明けまして、おめでとうございます。本年が良き一年の始まりでありま

すことを、心より願い、お念じいたします。


真宗教団連合の「法語カレンダー」は、法語はもちろんのこと、毎年挿絵に

ひじょうにすばらしい、絵画が掲載されております。本年度は多才な才能を

演芸、スポーツ、バラエティーそして芸術の各分野で、発揮されておられま

す、片岡 鶴太郎さんが手がけられておられます。

一日の朝、一月のカレンダーをゆっくりとめくりました。表紙の挿絵もさる

ことながら、改めて一月のものを見ましても、味わい深いものです。

鶴太郎さんの絵は、実に繊細な感性で画かれているようです。日本古来の

ある種の芸術的感覚を表現する言葉に「侘び」「寂び」というものがありま

す。「侘び」も「寂び」も、人間の精神性の深くに根差す感性を味わうこと

によって、ひとつの芸術的な心情に高め上げたものです。


芭蕉の俳諧、紀行文の奥深くには、旅する求道者・・芭蕉の、沈黙、静寂さ

からの、語りかけへの呼応が感じられます。旅する心は切なく、寂しいもの

です。寂しき心を抱きながらも、寂しさに徹しきった時、寂しさは友となり

和かな安らぎへと、変容するのかもしれません。侘びしさも、寂びしさも、

あるがままに受け入れた時には、味わい魅了すべきものとなる。

そこにはひとつの芸術性さえ生じてくるのでしょう・・・

必ずしも、すぐさま、そうした世界観に結びつけようとは思いませんが。

この鶴太郎さんの絵画を見た時に、ひじょうに近い感性の画家の絵を思い浮

かべました。尾道出身の画家に、平松 純平という方がおられました。

画材の類似性があるのかも知れませんが、よく似ています。

以前、尾道市立美術館で「平松 純平」展を訪れたことがあります。

肌寒い時ではなかったかと思います。来館者の少ない、その日の美術館で

初めて見る純平の水彩画は、「動かない瞬間」とでもいうのでしょうか、

「微動せざる何か」とでもいうのでしょうか、何かその様なものを感じて

しばし、ひとつひとつの絵の前で、長時間釘付けになっていた・・そんな

記憶があります。まるで、漆黒の底知れぬ空間から、ふいに絵が浮き出てい

るかのような、そんなものを感じました。


純平の絵も、鶴太郎さんの絵も、細部まで心配りされ、穏やかなものです。

けれど、何か、先に記しました「日本古来の感覚」に惹きこもうとするかの

様な、不思議な魅力も感じます。鶴太郎さんの挿絵は、少し力強いけれど

も、よく似ている気がします。

カレンダーは、月の初めに必ずめくります。それまでは、見ないようにして

います。来月・・また次の挿絵も楽しみです。

                 南無阿弥陀仏

正座南無 黄色 (566x800)

   

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