掲示板(10月)
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-人間、明日の命は、保証出来ないー
ー仏法には、明日と申すこと、あるまじく候うー(蓮如上人)
本願寺の蓮如上人は常日頃からよくこの様に言われておられた、そうです。
私の尊敬します念仏者の方も、仏法者に明日はない!と強く戒められてい
ました。明日こそは、とか、いつかきっととか、未来に思いをはせるのが
私です。人間、明日への希望とか将来への淡い期待がないと生きていけない
のもまた本当でしょう。
若い頃には時間がずっと続くように感じられます。けれど年齢をかさねる
ごとに、次第に時間は限りあるものだと感じてきます。いえ、年齢だけでは
ありませんね。病気をしたり、生きている中での無常感といったもの。
様々なできごと。生そのものの、寂しさ、空しさ。
そうした中で、自分の心の奥深くで声が聞こえてきだします。
時間がない!時間がない・・。あせりともいえない、本心からの呻きの様
なもの。本当にしなければならなかった(何か)が、未だ出来ていない様な
気持ち。
でも、不思議なのですねぇ。お念仏していますと、そうした気持ちは、
「今」を離れている私の心
を、限りなく連れ戻してくれるのです。ホントの寂しさ、ホントの空しさ
そんな思いが、ほのかな期待や希望を打ち砕いて、現実に生きている「今」
を蘇らしてくれるのです。それは、とてもうれしいことです。
念仏は・・そのことを気づかせてくれるのですね。
貪欲は明日に大望を抱き、念仏は今日一日に満足す。
「今日一日のお念仏、それで終わっても悔いはないか。!」
と更に、問われました。然り!と答えたいもの・・・ですね。!!