正見寺たより(楓蔦黄

正見寺たより(楓蔦黄

※これは、お寺を開基した頃、旅先の島のお堂を参拝した時に、親切にして

いただいた、そのお堂の近くの「高齢者施設」に住まれているご婦人に乞わ

れてお送りしだした、もとは、「仏教エッセイ」の文書でした。そのご婦人

がM様です。数年間HPでもご紹介させて頂きました。シチュエーションは

所々は変えてはありましたが・・・

M様宛

本日は十一月の六日、今朝の赤磐市は少し肌寒い気ががいたします。

十一月も日にちが経つにつれ、刻一刻と秋の深まりを感じさせます。

お変わりございませんか。明日は「立冬」ということで、言葉だけは、一気

に冬の気配が心を被いそうです。それほど急に季節が変わるわけではないの

ですが、「晩秋」のうちに、たよりを出さして頂きました。第五十四候の

「楓蔦黄」はご存知かと思いますが「もみじつたきばむ」と読むのですね。

「もみじ」は揉み出(もみず)が変化した言葉とのこと、特定の木の名では

なかったのですね。この時期、とりわけ美しく紅葉する楓(かえで)のこと

を指す様になったということです。薄紅葉~斑紅葉~照紅葉と。

季節は、目には見えませんが、草木や自然界の虫たち・・にその命を託しま

す。秋・・も終わりですか。 ※(これは平成29年11月のものです。)

              遠い約束

私には十五年程前から親しくして頂いております、僧侶の友人がおります。

彼は年齢は私よりも八つばかり若いのですが、宗門の大学を卒業するとすぐ

に、K県にある、父親が住職を勤めるお寺で兄とともに修行をした後、岡山県

のS町にあるお寺に副住職して招かれ、住職である、奥様の父親とともに法務

に励まれておられます。仮にYさんとお呼びします。Yさんはたいへん博識な

方であり、また努力家です。お寺の宗派は私のところとは違いますが、学生

時代の修行体験などを、ユーモアなど交えながら楽しく話してくれます。

彼とは近年では、年に数回ほどですが懇親の時を持つことにしています。

お互いの寺からそれほど遠くない、旭川に沿った場所にある小さな料理屋で

会うことにしています。いつも程よい客数と落ち着いた店の雰囲気は、静か

な語らいの時を過ごすのにちょうど適しているのです。彼も私も「弱い」ほ

うではありませんが、翌日の法務に差し支えのない程度に「心地よい時間」

を楽しみます。それは、昨年の秋のお彼岸が終わった頃でした・・・。

私のところと違って、彼のお寺はS町でも古くより続いている名刹であり、

多くの檀家があります。お盆・お彼岸のお勤めもやはり時間はかかりますが

当然丁重にさせていただいておられます。お互いにこうした行事がひと段落

した後には、反省の時でもあり、交流の時としてひと時を共有させていただ

いております。その、昨年の彼岸会が過ぎた、九月の終わり頃のことでし

た。まだ、日が完全に暮れかける少し前の夕刻に店を訪れた私たちは、川面

に向かって半分だけ開かれた格子戸から吹き抜ける心地よい川風を受けなが

ら、食事を始めました。「とりあえず、どうぞ」と私は彼のグラスに飲み物

を注ぎました。そして今度は彼が私にと、同じ動作を。そして、それはしば

らくの間続いていったのでした。私たちは様々な話題に意見を交換しながら

も有意義な時を過ごしていました。年は彼の方が下ですが、僧侶としての年

月は彼の方が長い。宗派は違いますが、彼から学ぶことは多くあります。

私は、彼の持論を聞かせてもらいながらも、その奥にある彼の熱意に好感

を抱いておりました。そうして、一時間ほどが経った頃でしょうか、彼は手

に持っていたグラスをゆっくりと、そして静かに机の上に置くと、何か物言

いたげな、それでいて躊躇するような仕草をするのでした。不思議に感じた

私は彼にその理由を尋ねました。彼は、瞼を少し強く閉じながら「う~ん」

とやはり何か告げたい事をためらっているかの様でした。やがて、しばしの

時を経た後、意を決したかの様に眼を少し大きく見開くと「ねぇ、Mさん」

「Mさんはこんな話信じないかもしれませんが・・」と少し思わせぶりに話

始めたのでした。「いえいえ、どんな話でもYさんのお話でしたら、お聞かせ

くださいよ。」と私は軽妙に答えました。Yさんは少し安心したかの様にほっ

とした顔つきになり、それでは、と続けてお話され出したのでした・・

以下は彼から聞いた話です。月月空

それは、彼のお寺とかなり懇意な檀家でのことなのです。彼自身もお寺に入

ってからずっとのお付き合いですので、もう二十年以上になるでしょうか。

I家の方々は特にYさんのお話を聴聞されるのを好まれ、ご命日や行事以外の

日でも、ご自宅に招かれ「御法話」などさせて頂いておられました。

YさんがI家にお伺いする様になりまして、十年ほど経った頃でしょうか、I家

のご長男のA男さんがご結婚されました。A男さんはそのままご両親とI家に

お住まいになりました。奥様になられた方はA男さんより二つ年が上の方で

たいへん明るく気さくな女性」とのことです。I家はますます明るく賑やかに

なりました。そして二年後、A男さんにはお子様ができました。

女のお子様でした。その子の名付け親はYさんのお寺のご住職でした。

「Oちゃん」それがその子の名前です。Oちゃんは健康で、すくすくと大きく

なっていきました。大きな瞳は奥様のK子さんに似、まっすぐな鼻筋はA男さ

んによく似ています。このOちゃんはとてもよくYさんになつきました。

YさんがI家を訪れると、何処からともなくOちゃんが真っ先にペタペタペタ

とゆっくりと歩いて現れて、Yさんを出迎えてくれ、それから後を追うように

K子さんがバタバタと走って追いかけて来るのが常になっていました。

幼い子供のいる家でのよくありがちな光景でしょう。YさんはこのOちゃんの

ことがとてもかわいく、そしてなぜかむしょうに愛しく懐かしく感じ出しま

した。Yさんにも息子さんがおられます。しかし、その子の幼かった頃のかわ

いさともまた違ったものでした。それは子供に対しての可愛いいという気持

ちではなく、Oちゃんへの懐かしさだそうでした。懐かしさ!まだ、二才に

もならない子どもに、Yさんは、自身、何か得体の知れない「妄念」に惑わ

されているのではないかと、少し恐ろしくなり始めました。Oちゃんは時折

Yさんの頭の少し上を見つめながら、少し不機嫌そうな表情をするとのこと

でした。そして、再び真っすぐにYさんの目を見つめ直すと、何とも愛おし

そうに、顔をわずかに左右に揺らすのでした。Yさんは、そうしたOちゃん

の仕草を見ていると、何か胸の奥深くから「自責の涙」のようなものが流れ

出そうになるのを、平静を装い笑顔を取り繕うのに懸命だったそうでした。

I家の方々はそんなYさんの心中など分かるはずもありません。お坊さんが

Oちゃんに優しくしてくださっている、そんな和やかな光景にしか見えません

でした。O(おう)ちゃんは左手に、親指から小指の付け根のあたりまで、

うっすらと「線」のような跡がありました。それは、気にして見なければ

わからないほど「うっすらとした筋」のような跡でした。I家の誰もが、それ

には気付いてさえなかったでしょう。いえいえ、それが「線」のような跡に

思えたのもYさんだけかも知れないとのことでした。

それから、数年間が何事もなく過ぎて行きました。I家とのお付き合いも今ま

で通りの良い関係でした。I家の主、T介さんはYさんのことを、深く信頼して

くださり、A男さん、K子さんとも家族共々の親しい関係を保っていました。

Oちゃんも小学校にあがる年齢になっていました。

その日I家でのお盆のお勤めが終わった頃、K子さんはOちゃんを連れて、実

家の倉敷に一週間ほど帰省するとのことでした。A男さんが車の準備をしまし

た。Yさんたちは、その場から見送りました。荷物を手に持ち、K子さんが先

に乗車ようとしかけた時でした。その後をOちゃんが小さなバックを背負い、

トコトコとついて行っていたのでした。そして・・まさに後部席に乗りかけ

ていた瞬間、再び向き直りこちらに向かってくるやいなや、ドアから顔だけ

ちょこんと出し、Yさんに向かって、「忘れないでね、今度は・・」とはっ

きりと告げたということでした。Oちゃん

それは、一緒にそこにいたT介さんの奥様のJ子さんも聞かれたとのことでし

た。J子さんは、一瞬驚かれた様な表情をされたとのことでしたが「それはま

ぁ、子どものこと、色んなことを言う」といったご様子で少し苦笑いしなが

らも、すぐさま平静にもどられたとのことでした。しかし、Yさんにとっては

それは苦笑いですむことではありませんでした。

 

                 

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