真宗木辺派

真宗木辺派

現在、宗旨を浄土真宗とするものには十の派があります。木辺派(きべは)

は、そのひとつであり、滋賀県野洲にあります錦織寺を本山とします。

錦織寺はかつて天安二年(858年)に比叡山三代座主慈覚大師円任の命によ

り毘沙門天のお像が安置されたとこです。その370年後、関東より京へお

戻り途中の親鸞聖人がこの地にお立ち寄りになったところ、地頭(じとう)

石畠氏をはじめ近在の人々の懇願に応じ、しばらくご逗留なされ念仏の法を

お説きになられたのがはじまりです。毘沙門天像  毘沙門天像

そして、親鸞聖人の主著ー教行信証ーの真化二土の両巻(真仏土・化仏土)

はこの地で完成されたと伝えられ、真宗の歴史においてもたいへん重要な

地であるといえます。それ以来、数百年の流れのなか親鸞聖人のみ教えを今に伝

え、現在では真宗木辺派の本山となっています。


近代では、西本願寺明如上人の息男で(西域探検で高名な)大谷光端師

実弟で、歌人九条武子夫人の兄(後の)第二十代木辺孝慈上人が明治二十九年に

入山され、明治・大正・昭和の激動の時代を宗風宣揚に努められ、木辺派

の発展に大きくご尽力をつくされました。


木辺孝慈上人は国内の仏教界のためにもたいへんご貢献され、木辺派におい

てもー大興上人ーと称せられました。智慧・慈悲心そして行動力を兼ね備え

られ思慮深く、まさに「湖東の賢哲」ともいわれるおかたでした。


孝慈上人、七十七歳の時、昭和三十二年(1957年)真宗各本山に先立つこ

と四年、親鸞聖人七百回忌法要が 営まれました。

また、二十一代木辺宣慈上人は天文学にも造詣が深く(木辺レンズ)の名

とともに世界的な望遠鏡レンズ制作の権威者でもありました。

宣慈上人のお時代、昭和四十八年(1973年)には親鸞聖人御誕生八百年・

立教開宗七百五十年法要を執行し、続いて御影(みえい)を修復しました。

さらに現二十二代円慈上人が平成十二年(2000年)に阿弥陀堂を修復され

ました。そして、平成二十三年十一月には、真宗各派の初陣をつとめ

ー親鸞聖人七百五十回御遠忌大法要ーを執り行いました。
御遠忌法要23日
御遠忌法要24日


親鸞聖人と縁深き本山錦織寺の歴史も、他九派本山の歴史同様、様々な時代

の波の中、順風にささえられながら、あるいは逆風の試練に遭いながらも

宗門にながれる「信心の智慧」ゆらぐことなく、現在にいたっています。

真宗十派は真宗教団連合を結成しており、木辺派もその一派として重要

な役割をもち、愛山護法の思いの中「お念仏相続」に今を精進しています。

錦織寺 錦織寺

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