掲示板(N9月)

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たくさんの

どれほど「たくさんの道」があっても、自分の行ける「道」というのは、そ

れほど多くあるものではないのでしょう。自然界の中にあっては、人間以外

の生き物はみなその本性に従って、あるがままの生を全うしていきます。

そこには「善・悪」の区別はありません。そしてあるがままの生を全うして

いくが故に「迷い」の介入する余地もありません・・・。

でも、「人間」となるとそんなわけにはいきません。「考える」ことが出来

るからです。「どう生きればよいのか」とか「自分は何をすればよいか」

とか、「考えて」しまいます。そして「可能かもしれない」という多くの道

の中から、何かを行っていきます。それが、うまくいったり、いかなかった

り・・ですね。「考える」ということは、ある時には「出来ること」とは別

のことをしてしまうという事もあるのでしょうね。


「心」・・を見つめた時、「せずにはおれない気持」は更に深刻になった時

「しなければならない義務感」へと変化していきます。それは、あれもこれ

もの中から、あれかこれかの選択の世界へと帰入していきます。

そこには、「一つの道」しか開けてこないのですね。それは「二つの道」で

はないので、「迷い」はありません。「一つの道」といってもそれは固執さ

れた道ではありません。「自分が自分になりきって生きれる道」とでもいう

のでしょうか・・そんな、たったひとつの生き方なのでしょう。


地上には、実に多くの花々が咲いています。そしてそのひとつひとつが実に

味わい深い色彩の光を放っています。青い花は青き光を、黄色い花は黄色の

光を、そして白い花は白き光を・・それぞれが、たったひとつの輝きを放っ

ています。

自分が自分になりきって生きる道・・それは、成さなければならないとい

う深い覚悟が、自らに与えられた義務として受け入れられた時、おのずから

(自然)、成就していくのでしょうね。

                      南無阿弥陀仏

立位南無 薄みどり (566x800)

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