掲示板(5月)
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-夕べに笑いしつわものも、あしたの日には消えてゆく・・・
この言葉は、私が尊敬しております(念仏者)の方が作られました
(諸行無常)と題されました詩の一節です。諸行無常とはよく耳にする
言葉ですね。これは、仏教の四法(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆
苦)のひとつ諸行無常(すべて、常である物事は何ひとつ無い)の法を実感
として作られております。語るに人なき寂しさは・・で始まるこの詩は
一番から五番まであるのですが、この一節は三番の(旦(あした)に咲きし
おさな子も、夕(ゆうべ)は冷たき死のかばね。夕(ゆうべ)に笑いしつわ
ものも、あしたの日には消えてゆく)の部分です。
何か、この節だけ読みますと、何ともいえない寂しさを感じますね。
仏教の教えとは、こんなにせつなく寂しいものなのでしょうか。
二番などもそうですねぇ~。(夕べに響く鐘の音・・・ 小山(おやま)の
麓に散る桜・・)とあります。これまた、寂寥感あふれています。
若かりし頃、この詩を初めて読みました時には、なんともいえない、
しんしんとした孤独感におそわれたのを憶えています。
けれど、今、じっくりと味あわせていただきますと、それは、この詩の
寂しさというよりも、(生)そのものの寂しさ、人間ひとりひとりの持つ
存在の寂しさとでもいうのでしょうか。この世のありのままの姿、人間の
ありのままの姿を表されておられます。
仏教がときおり、厭世的に感じられるのも、人間存在から目をそらすこと
なく、あるがままに見つめているからなのですね。
寂しく感じられたこの詩も、五番では(寂しき故に今日も亦、道を求めて
我はゆく・・)と終わられています。道を求めて我はゆく・・・
この時代の仏教者らしい表現です。けれど、この心が、たとえようもなく
私は、すきです!