掲示板(N8月)

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愛する

愛するものは愛され、憎むものは憎まれ・・・愛されるというのも、憎まれ

るというのも、みな、汝自身がかったことなのだ・・・。

と続いていたと思います。他人はみな、自分自身の心の鏡のようなもの、

好きであるとか、きらいであるとか、すべて自らの心の投影のようなものな

のでしょう。それ故に、自らを「よき思い」の発祥の母体として、自らの心

を自覚して行こうとの願いを感じます。

この言葉は、私自身も尊敬いたしております、広島県でお生まれになられま

した念仏者(安芸門徒)の方の言葉です。明治28年に広島県山県郡豊平に

誕生され、昭和24年に55才で亡くなられております。

彼は、大正3年に広島師範学校(現広島大学教育学部)を卒業され、当時の

尋常高等小学校で教鞭を執られました。その頃より、抑えきれない「道念」

に従い、本願の宗教、親鸞教学に深く帰依するようになりました。

大谷光瑞本願寺御門主を敬愛し、清沢満之師、金子大栄師などの学僧といわ

れる方々の教えを領解し、広島県を中心に有縁の同朋たちと、仏徳讃嘆の者

として生涯を送られました。彼とともに、「お念仏をよろこぶ身」となられ

た方々の子や孫たちも、現在も当時の「思い」を忘れてはいません。

彼はまた「夏、は精進の相」とも言われました。灼熱の季節の中で、草花が

これでもかと言わんばかりに伸びて行く姿、それは今しか見ることは出来ま

せん。身体にしみ入る様な太陽の熱の中で、黙々と精進して行く時、それは

本当の力となって蓄えられていくのでしょう。

明日は・・8月6日。あの大いなる苦悩の記憶の中にあっても・・・

人々は、合掌する心を忘れてはいない。

                        南無阿弥陀仏
正座南無 黄色 (566x800)

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