ケイジ板7月
ケイジ板7月
令和二年七月
・・というような言葉を今月は掲示しておりましたところ、ご近所の、やや
高齢のご婦人がこられたおり、「これは、その通りです!」と愉快に笑われ
ていたそうです。まぁ、ある年代の方には、何となく同調できる言葉なので
しょう。素直な・・人間の・・気持ち、でしょうね。
さて、今年も、もう半分が過ぎてしまいました。
「今年はあっという間の半年だったね。」多くの方がその様に感じられてお
られるようです。新型コロナの影響で、社会・人との距離感が著しく変化し
て、皆が閉鎖された空間の中に閉じ込められているかのようです。
そして、「不安」を抱きながらの生活は普段とは大きく異なったものになっ
ています。5月に会った今年中学に入学した従兄妹の三男は、大好きなサッ
カーを一生懸命するつもりでしたが、出来ませんでした。
また、先月転居したばかりの、中学三年の従兄弟の長女も、転校したばかり
の中学で、まだ慣れない毎日を過ごしています。二人とも、新しい環境の中
で、「みんな、マスクしとるんで、顔がわからん~」といっています。
まぁ、無理もないか・・・。
地上
『正しく理解されたいこと・・・それは人間の持つ根強い要求である。
しかし・・この、地上は、常に、正しく理解されるものでは無いことを、
知らなければならないのだよ。百が百・・すべてが正しく理解されるならば
君よ・・我々の「人生」とは、機械のようなものだ。君よ・・かえって、
そこには、「真実なるもの」・・真の権威は無い!
我々は、正しく理解されることを求めるよりも・・我ら自身が正しくあらね
ばならない。君よ・・・見てごらん、太陽の前にも、雲はかかる・・
しかし・・太陽が正しさの承認を求めた日は、ないではないか・・
人生とは・・正しき生活を願い求めるべき道場であって、他の承認のために
生きる場所では・・ない、のだよ・・』
※【若き君たち・・人間であれば、誰しもが、本当の自分を知ってもらいたい
だろう。しかし、我々が生きている、この「地上」は、必ずしも、その様に
はなってはいない。正しくとも、誤解されることもあれば、辛い経験をする
こともある。
法然、親鸞・・然り。ソクラテスは毒杯を飲み・・そしてイエスは磔刑
に・・と。
今もって失われることのない、正しさの証明者たちも、あるいは法難に遭
い流罪に、あるいは死罪にと・・。正からざる手によって裁きを受けた歴史
がある。「正しさ」とは・・「真理への随順」。我々の人生とは、これ以
外には、ありはしないのだよ・・。】
「そうだな・・これは、若い頃、私も親しんでいた言葉だな・・。」
南無阿弥陀仏