正見寺たより~

令和2年10月25日

一仕事終えまして、赤磐市のお寺でなにげなく、市の広報誌を読んでおりま

した。たまたまめくったページが「情報ボックス」のコーナー、おやっと思

い目をとめたのは「赤磐市手話言語条例(素案)への意見募集」という見出

しでした。

その内容は『市では、手話を言語として認識し、手話に対する理解を深め、

手話を必要とする人が、手話を使って安心して暮らすことができる地域社会

を実現するために(赤磐市手話言語条例)の制定作業を進めています。市民

の皆さんからの条例に対する(素案)に対する意見を募集します。』という

ものだった。


「手話か・・・」と思いながら、ふと以前心に残っていたことをこのHPにの

せていたことが思い出された。それはこのHPを開設した頃に、お寺の紹介も

兼ねてかなり以前から書き連ねていた「文書」-感動の瞬間ーを、高齢の方

がた、そして、中高生を対象に書き直したものだった。

まぁ、これは、古いものですが・・御笑覧を・・・。

  
 慕秋

慕秋(ぼしゅう)、なんて言葉があったでしょうか。日、一日と昼間の時間

が短くなっていくのが感じられるせいでしょう。

「秋深し」の、芭蕉の句ではありませんが、秋の日は、何か静かで穏やかな

気配につつまれています。まるで、時、が止まっているかのように。

夕暮れともなれば、どこにいても、沈みゆく夕陽の中に(安堵)や(懐かしさ)

を感じるのではないでしょうか。

今日一日を名残惜しむ心。画像の説明

過ぎ行くものを、懐かしむ心は、そのまま、今を愛する心なのでしょう。

過ぎ行くものを過ぎ行くものとして見つめながらも、過ぎざるものの中に

ゆっくりと腰を落ち着けていられる。そんな(想い)にひたりたいもので
す。

高野山

高野山に伝わる話、とのことですが、室町時代に、あの一休禅師が雲水とし

て高野山を訪れた時のことでした。一休は、こともあろうに(大般若経)の

箱の上に涼しい顔で腰を掛けたのでした。

それを、明王院の阿闍梨に咎められると、「自分(一休自身)こそ生きた

大般若経だ。般若経が般若経に腰を掛けて何が悪い」、と素知らぬ顔。

さらに、その夜の宿所を希望し、案内する阿闍梨に「真言宗には印相

(いんぞう)というものを大事にするそうだが、あれは手遊びだ。

功徳などあるはずがない」とうそぶいた。さすがに腹に据えかねた阿闍梨

が、宿が欲しければその様な発言を控えるようにたしなめ、「そうでなけれ

ばお泊めできない。」と告げると、踵(きびす)をかえし「それなら結構」

と一休は帰ろうとした。

とその時、阿闍梨は柏手(かしわで)を打った。振り返る一休に、今度は

手招きをした。笑いながら戻ってきた一休に、阿闍梨は「先ほどあなたは

印相など手遊び、功徳など無いと言われたが、私が手を打つと、振り返り

、手招きすると、戻ってこられた。凡夫の手の所作でさえこのような働き

がある。まして、仏の伝える印相に功徳がないことがあろうか。」と説いた

さすがの一休も一言もかえせなかった。

とこのようなお話があるそうです・・・・。

一休さん   まいった!!

          手話   

  最近、私の友人のひとりが、手話教室に通いだしたとのことでした。

彼も宗派は違いますが「教え」を学んでいます。職業は歯科技工士です。

とても器用なのです。そんな彼には、手話、というのは十分に肯けれる

ところだと感じました。

「手話」というのは、さも複雑な手の表現方法があり、覚えるまでかなり

の時間が必要なのだろう、と尋ねたところ、どうもそうでもないようです。

幾つかの基本的な形があり、あとは「顔」の表現力、つまり表情なのだとの

ことです。そして、気持ち。何を伝えたいかはっきりとしておくこと。

これが、一番大切・・・だそうです。 


十代の頃のことですが、両親と一緒に京都に旅行に行く途中のことでした。

連休の頃だったでしょうか、混み合う列車の中、同席することになりました

若い男女のふたり連れがありました。おふたりとも、二十代前半くらいでし

たでしょうか。私の十代の頃によく見かけました、いかにも当時の若者たち

といったかんじのお二人でした。男性はさわやかな、そして女性はとても

かわいらしいかたでした。

列車が走りだして、しばらくすると、母がおふたりに向かい、話かけました。

しかし、すぐに返事はありませんでした。ただ、、おふたりともにこやかに

微笑みかえされるだけでした。母はまた、何か話かけました。

今度はおふたりとも少し躊躇されたご様子でした。そしてお互いの顔を

少し見つめ合うと、女性のかたが、口元に微笑みを浮かべながら、こちらに

向き直し、人差し指で自分の耳を指さされ、顔を左右にふられるのでした。

そして、男性のかたも、こちらを向かれると同じ仕草をされるのでした。

この時初めて、ふたりのかたの聴覚がご不自由であることがわかりました。

それでも、こうして乗合になったのもなにかのご縁、と父がカバンから

ノートとペンを取り出し、筆談をしようとしました。

父、母、私が順番にいろいろとお尋ねし、答えていただき、今度はおふたり

が質問を書かれ(合間、たいへん美しい手の動きも交え)私たちが、お答え

しました。お互いのいろいろなことが分かり、とても楽しい時間が過ぎて

行きました。当時の列車のことです。時折、はげしい揺れもありました。

左右に揺れる列車の中で書きあう双方の文字は、美しい文字ではありません

でした。けれど、大切な時を過ごすことができました。


その後お二人は大阪で下車されました。

けれどすぐには列車から降りられても立ち去られようとはしませんでした。

おふたりとも、こちらを見つめられたまま、静かに手を振りながら見送って

くださいました。画像の説明

列車は動き始めました。私たちもまた、手をふりました。何年もの間親しい

お付き合いをしていた友人を見送るかのように。

そして、おふたりが結婚されたばかりであること、女性の実家は岡山市内の

理容院で、おふたりはそこを継がれること、大阪に理容の研修でこられた

ことなど、さきほど知ったばかりのふたりのことを思いながら別れをつげま

した。ふたりは大阪の街へ。私たちは京都へと向かいました・・・


月日が経ちました。


昨年の11月の終り頃、所用でめったに行くことのないM町へいきました。

知人と会う予定でしたが、かなり早く着きましたので、そろそろ気になり

だしていました、(いつも一分刈りにしている)頭(髪)を整えることに

しました。M町は郊外とはいえ、新興地であり、たいていの店は揃って

いました。マンションの一階にありました理容院にはいりました。

五つほど並んである椅子の入り口に近い椅子に案内されたので、そこに

座しました。そして「できるだけ短く」と普段行く店と同じようにお願い

すると、これまたいつもの様にーうと、うとーとしていました。

途中、時折目をさまし、周りを見回すと、楽しそうに会話をしながら髪を

整えてもらう客の姿と、若いスタッフ、奥には年輩のかたの髪を整えられて

いる、店の主と思える壮年の上品な女性の姿が目に入りました。

ありふれた(床屋の景色)に目を閉じ、再び眠りにと入っていきました・・

店を出て、予定通り知人と会い、三時間ほどして帰宅路へとつきました。

暫く川沿いの道を車を走らせていると、ふいに先ほどの理容院の光景が

浮かんできました。それは、なにげなく見渡していた、一番奥の客の

髪を整えられていた壮年の女性の姿でした。

他の若い男女のスタッフのかたが、客と楽しそうに会話しながら、仕事を

されている中、あまりにも静かに応対されていたのでした。

そして、鏡に映るお互いの顔を(客と)見つめ合いながら、時折、肯きあわ

れたり、ハサミを持たない方の手が、大きく何かを伝えたいかのように動か

されていた・・・そんなシーンが浮かんできました。

あの時には、周りが少し賑やかなので、あのような所作をしていたのだと

ばかり、思っていましたが・・・


ひとつの事実としまして、「人の世」は言葉で成り立っています。

その一言がひとを傷つけ、その一言がひとを活かします。

けれど、「言葉」もまた一つの手段でしかありません。

未だ言葉に成らざる(思惟)人間とは・・・ここに住するものです。

深い沈黙の世界、深い沈黙の心の世界、慈愛に満ちた寂静の空間

その「思い」を正しく伝える事のできる(大いなる手だて)。

そんな、尊いものを、私たちには与えられているのです。


それにしても・・・それにしても・・人間の世とは・・・。

              南無阿弥陀仏

        

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